毎日更新旅日記
旅の動機
旅の概要
旅の予定マップ
旅の持ち物
 
表紙へ

 

 

 


更新日時 03/03/03 3:01
本日のデータ
日付
3月 1日
天気
曇一時雨
旅行日数
234 日目
体調
良好
本日の移動
 久米島一周
走行距離
49.8 km   
現在地
久米島
総走行距離
9455.2 km   
宿泊地
シンリパーマビーチ
今日の出費
食費
687 円    
宿泊費
0 円    
観光費
300 円    
雑費
0 円    
経費詳細

 観光費:久米島ウミガメ館




久米周遊♪と水没?!

 今日は最初に今後の日程から触れようと思う。いろいろこの先の予定を迷ったのだが、3日那覇発のフェリーで鹿児島へ戻ろうかと思う。もっと時間がふんだんにあれば、またお世話になった各島々にも寄りたかったし、また、行きそびれたトカラ列島にも行きたかった。だが、この先の予定を考えるとかなりきつくなってしまい、落ち着かない焦った旅になってしまう。そうならない為にも断念して、九州の旅へと戻ろうと思う。九州では登り残した山々の登頂、佐多岬とまだまだ行かなければ行けないところがいっぱいだ。まだ、寒いだろうが、負けずに九州北上&登山の旅へと戻ろうと思う。南西諸島ありがとう・・・


お世話にカズとシマンチュウ

 話をいつもの日記に戻る。今日もいろんな事があった日だった。今朝は7時に起床。昨日遅くまで起きていた事もあって、そしてまた、昨夜はテントが飛ばされそうなほど風が強く、そのおかげで安眠も出来ず、眠い目を擦りながらの必死の起床だった。今日も朝からやっぱり日記の更新作業から始まったが、でもあまりの風の強さにテントを避難することにした。南側の軒下から、西側の軒下へと大移動。自転車の荷物を全部テント内に押し込んでいるだけあって、移動は一苦労だが仕方ない。こうしてなんとか落ち着いた場所に移動した。

 この後、今日のフェリーで出発するカズを見送って、そしてまた日記書きに没頭して8時半頃にようやく書き終えることができた。そして、ちょうど9時、今日の島内一周の旅へと出発した。荷物を全部テント内に詰め込んだまま・・・ 後で起きる惨事など予想もできなかった。

 さて、まず向かったのは腹ごしらえの為に商店へ、そこでパンをたらふく食べて、いざ!周遊開始!北へと坂を登って最初の観光は上江洲家。ここも琉球のいわゆる武家屋敷のようで、かなりの豪華な作りとなっていた。中の様子は日本家屋と似ている部分が多いのが面白い。そんな琉球家屋の見学だが、実はここ有料施設なのだが、受付の方が居なくて無料で見学してしまった。「すいませーん!」っと呼んでも誰もいなく徳した気分での観光だったが、でもある意味、この上江洲家についての話を聞くことも出来ず、またパンフレットすら無くて、この見学自体が薄いものになってしまったのが残念だ。

 このあと巨大な琉球松、”五枝の松”を観光。この松、ほんとビックリするほど根本から枝分かれして地を這って枝が無数に伸びている他にはない大迫力の松であった。でも、琉球松は高く天に伸びるのが特徴らしく、現にこの島の松林は高くそして枝ぶりはやや寂しい感じがする松ばかり並んでいた。が、この松にはその特徴がなく、全く違った風貌を見せていた大迫力の美しい松であった。


上江洲家


上江洲家にて


五枝の松

 このあとは”浜川家”へと立ち寄った。ここも有料施設で、先ほどタダで入れたのに、ケチってしまい中には入らなかった。ここは見た目は今までの琉球家屋と違ったように見えただけに気になった分、今となっては悔しさが残る観光となってしまった。結局、ここも歴史が分からないまま後にすることになってしまった。


浜川家


おばけ坂


ミーフガー


景勝地・比屋定バンタにて

 そして今度は”おばけ坂”で不思議な体験。名前の通りほんとおばけだ。どう見ても下っているように見えるのだが、実際はペダルが重く進まない。で、Uターンしてみると上っているはずなのに、すいすい進むではないか!そんな目の錯覚を楽しんで、先へと急いだ。ちなみに心配していた天気の方は、なんとか午前中は持ちそうだ。このまま持ってくれれば嬉しいのだが・・・ 風の方は相変わらず強風が吹き荒れていた。

 この次に向かったのが、坂を一気に下って、”具志川城跡” へと立ち寄った。ここは琉球王国時代、交易の中継点としてとくに栄えた場所だそうで、歌としてもその様子が残されていた。ちなみに城の方は四方絶壁に囲まれ、堅城といった様で、浜から見上げた城は迫力満点であった。そんな石垣は現在修復作業中であった。

 そして城から見下ろすこの浜へと下ると景勝地・ミーフガーがある。この岩は女性のシンボルとして崇められて子宝等のご利益があるそうだ。そんな巨大奇岩が後にして、また来た道を上り返す。これがなかなかの急坂で空荷でなければとても登れないような坂で、もう汗紛れの一苦労であった。こうして元の県道へと復帰した。

 このさき、さらに時計回りに進むと、右上方の山の頂に立派な城壁が見えた。あれが”宇江城城跡”であった。これを見る前まではこの史跡を観光予定であったが、あまりの高く山頂にそびえる城を見て、行く気消滅・・・ でも、その城壁の立派さはこの城下からも充分伺えた。

 そんな城を右手にさらに上り坂を突き進むと、もう一つの島の景勝地・比屋定バンタへと到着。ここは展望台となっていて、果てしなく続く青い海が印象的な景観だった。この先、さらに上ると、城跡”宇江城岳”への分岐となるのだが、もうここまで上ればあと少しとちょっと頑張って行ってみる事にした。調べると、島最高峰のおまけ付きで、さらには、山頂付近になる自衛隊を見てみたいという好奇心もあった。そんなことから山頂向けて出発!

 分岐から3km弱の道のり。少々のアップダウンを繰り返しながらどんどん上って行き、そして最後、元、米軍基地であった自衛隊を横目に見渡しながら城跡へと登頂した。ここも現在、石垣修復作業中で何人かの人が作業していた。こうして史跡が大切にされ、復帰されていくのは、歴史好きの私にとっては嬉しかった。そんな島最高峰の城跡からの展望はもちろん最高で、北にも南にも海を見渡すことがでる、まさに絶景であり、ここまでの上りの苦労を癒してくれた。


元米軍基地、現自衛隊


最高峰・宇江城岳


宇江城城跡にて

 ここから分岐まで来た道を気持ちよく下って行き、そしてまた島一周ルートの県道へと復帰し、さらに気持ちよく下っていくと、仲里間切蔵元跡へと到着。見事なほど綺麗な石垣に囲まれた広い敷地で、ここは元、久米の役所があったところだそうだ。そして、道を挟んですぐ近くには天后宮という中国人が作った宮があった。過去の中国人の海難事故から、多くの人がこの久米島の方々に助けられ、そして感謝の気持ちを込めて、海の神様をここに祭ったそうだ。中には中国風のいでたちの人物像が祭られていた。この琉球の地ではこのような神仏は久しぶりに見たような気がした。この琉球には数え切れないほどの御嶽という神域があるが、そこは何処も神が住む場ではあるが、神仏などの像は何も無く、静かな斎場で祭られていた。

 このあとは、さらに連続してある観光地、宇根の大ソテツ、チュラ福木などを見学して、さらに南下し、そしてこの島最大の見所?!である奥武島へと長い橋を渡って入った。そして最初にこの島で訪れたのが、なんといっても有名な畳石である。綺麗な六角形状の畳石が並んでいる。ほんと奇妙としか思えないほどの形状で、解説に寄れば、溶岩がゆっくり冷えて、そして出来た割れ目がこの畳石だという。不思議な景色だった。


仲里間切蔵元跡


天后宮


チュラ福木

 このあと、隣接されている”久米島ウミガメ館”へと入館した。ここは今まで見てきたウミガメ資料館と違って、とくに保護に力を入れて展示されているのが印象的であった。とくに、印象に残ったのがインドネシア近国の島々の視察旅行記であった。写真と共にウミガメの実態が報告されていて、かく乱される姿、そしてさらに衝撃的なのが、食用として捕獲されていくウミガメの姿であった。日本では考えられないウミガメの実態で、その本格的な保護の必要性を実感した反面、現地のそうして行かなければ生きていけない人々の生活にも心痛めるものがった。

 こんな館内見学中、突然心配し続けてきた雨が降り出した。館内でよかった♪っと思いながらもものすごい雨でテントが心配になった。まさにバケツをひっくり返したと言っていいほどの豪雨で、さらにそれに強風が吹きつけて、まさに台風の世界であった。でも、広い軒下に張ってるテントだけに、さすがにそこまでは吹き込んでこまいと思っていたし、降り込んだとしてもしれていると思っていた。それよりも風の方がよっぽどテントが痛んでいないか心配であった。そんな不安の中、この雨で外に出るわけにも行かず、休憩所で雨が止むまで仮眠をとることにした。


奥武橋より


奥武島の畳石


久米島ウミガメ館

 1時間半ほど、休憩室のテーブルにもたれて寝ていた。先ほどの豪雨は1時間ほどで止み、今はもう時たま日が差すほどまで回復していた。それを確認して、長い休憩を終えて再出発した。この先は、目だった観光地もなく、ちょっとした奇石や御嶽を見学しながら、そしてスーパーはホームセンターを覗いたりと買い物しながらキャンプ場を目指した、16時半頃にキャンプ場へ到着した。そんな途中も小雨に降られてしまっりもしたが、でも服を湿らす程度ですんでくれたので助かった。


テント水没・・・

 キャンプ場の方は先ほどの小雨は降らなかったのか、アスファルトは所々乾いていた。ただ、気になったのが一つ、テントの周りだけが濡れていて、降り込んでいたことが伺えた。だが、テント内が湿っている程度だと思った、それが、開けてみてビックリ!!なんと中に数センチの水が溜まっているではないか!!まさに水没・・・ これには呆然としてしまい、いったい何が起こったのか最初認識できないほどであった。恐る恐る水没した荷物を一つずつ回収。ほぼ全ての荷物がビッショリの状態で、もちろん寝袋も半水没状態であった。ただ、運良く助かったのが、一番貴重なパソコンであった。気にもせず置いたところがザックの上でカバーにも入っていたことから水没を免れた。そして逆に全く使用不可能なのが、今まで愛用してきた九州地図である。一番下にそのまま置いてあった為に、地図は倍ほどに水で膨れ上がり、そして今まで書いたマーカーも消えかけていた。さすがにこれは痛いが買い替えである。(2000円)、でも、これだけの水害でこの被害だけで助かったよかった。この後、数本、軒下などにロープを張って、荷物をひっくり返して天日干し。ただ日が出ていないので渇きが悪いが、でも風が強いので何とかなるだろう。バックもビッショリなので、今夜はそのまま荷物を干して就寝した。また湿った寝袋だったが、仕方なく使用した。こうして水害処理で20時ごろまでバタバタしてしまい、それからHPの更新作業等を行って、23時ごろ就寝した。

<< 前の日へ


since2001-4