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更新日時 03/04/23 10:08
本日のデータ
日付
4月21日
天気
曇時々雨
旅行日数
285 日目
体調
良好
本日の移動
 福知山市〜京都市
走行距離
75.1 km   
現在地
京都府京都市
総走行距離
12219.1 km   
宿泊地
古橋さん宅
今日の出費
食費
231 円    
宿泊費
0 円    
観光費
0 円    
雑費
0 円    
経費詳細

 




父が残してくれたもの

 爆睡できた今朝は6時半に起床して、快適なビジネスホテルの机でやっぱり今日も日記の更新から始まった。窓の外をのぞくと天気予報どおりの期待の青空はなく、どんよりと今にも降りそうな重たい雲が広がっていた。ただ、それでも天気が回復に向うということで、すぐに晴れるだろうとそれほど気にはしてなかった。このあと8時にこの食堂で成田さんと待ち合わせをしているので、そんな天気を眺めながら、それでまでにと日記を打ち始めたのだが、最後、ちょこっとだけやり残してタイムリミットの8時となってしまった。

 一緒に食堂で朝食をとりながら、また旅の話、人の話などいろんな話を聞かせていただいた。昨日にも書いたが、世界も旅されたこともあって、いろんな人たちを見てきただけに、考えがとても広く、とってもためになる話ばかりで、またいい住職という感じであった。

 9時ごろ、成田さん宅(円覚寺)へと戻るが、この時には雨が本格的に降り始めていた。気は重たかったが、出発までには止むだろう、そんな軽い気持ちではいた。このあと悩まされるとは知らずに・・・ 寺へと戻り、落ち着いてから住職(成田さん)が交通安全を祈る経を本堂であげてくれ、そして自分も経の本を見ながら一緒にあげた。こうして読み上げてくると、本堂という場所もあってか、自分を振り返ったり、そして先を考えたり、そして最後はただ無となり、なんだか不思議な体験であった。このあと、この旅の中、辛いときなどに思い出す父の姿、そんな父に対して住職は話してくれた。常に心の中で生き続け支えになっていること、そして自分の今の姿が、最後、父の死によって教えてもらった人の行き方について、そんな影響が強いことを、住職の口から改めて聞き、自分の中で父の存在がいかに大きかを実感し、そして父が残してくれた物の大きさに感謝した。ありがとうと・・・ 目に涙を浮かべながら、父を思い出し、そして住職の話を聞いていた。


”円覚寺”・成田さん宅にて

  このあと奥さんと犬も交えて楽しく団欒♪成田さん一家は最近、沖縄に行ってきたそうでそんな話に盛り上がり、また旅の話を中心に話題が尽きることがなかった。時間を忘れて話しにお互い没頭。心配の雨はじきに止んではくれたが、雲行きは相変わらず重く、出発を渋らせ、また会話のあまりにも楽しさに、実際は、そんな出発ということをすっかり忘れて会話に没頭していた感じであった。こうして我に帰ったのが、12時ごろ、「あっ!もうこんな時間!」そんな感じでった。天気の方はたまに晴れ間ものぞくほどに回復。肌寒い朝ではあったが、外へと出てみるとジリジリと肌に感じる強い日差しで、出発意欲をそそった。今日のルート悩みに悩んだ。国道9号を真っ直ぐ進み、今日中に京都市へと入ろうか、それとも、美山の今も残る旧村を抜けるか、それとも篠山に抜けてから京都か・・・ これにはほんと迷い、それだけで結構な時間を費やしてしまった。結局、最後は今日中に京都へ! そのためにも一番最短である国道9号を行くことにした。そうと決まったらさっそく行動開始!ただこの12時半という時間からの出発でちょっと日没までにたどり着けるか心配・・・ まあ、無理なら無理で途中で野宿することも考えながらの出発だった。ほんと 楽しい時間ありがとうございました!大きく手を振り上げて、次の再会を楽しみに、いざ京都へ!そんな気持ちで漕ぎ始めた。


芦田均記念館


芦田均・生家にて

 急いで京都市まで行くといっても、行きたい観光はちゃんとしていく。そこは昨日、福知山城を見学したときにパンフレットから知ったところで、「芦田均記念館」というところで元総理大臣の芦田先生の生涯を紹介した記念館だ。そこまでは出発して20分ほどで到着できる所で、身体が温まる前には到着することができた。平日ということもあり、誰もいない静かな記念館でゆっくり見学。そしてこのあと、館長が生家へと案内してくれ、芦田先生のことをいろいろ聞かせてくれた。館長も実際に芦田さんのことを幼い頃に実際に接している方だけに、空想から出ている話ではないだけに、その話にとても気持ちがこもり、芦田先生のその人の大きさが肌で自分にも伝わってくるほどであった。ちなみにこの方は村長の子として生まれ、勉学優秀で16才にして上京し、一高、帝大と卒業し、小さい頃からの夢であった外交官となった。各国の大使館を渡り歩き、そして世界の目から、日本の日露後の暴走を見て、このままでは滅びる!そう感じ、日本を変えようと政治の世界へと入っていった方で、議員として不戦を訴えながらも、軍部独走をとめることができずに大戦へと突入していった。戦後、日本国憲法の改正に委員長として関わり、そして昭和最後は総理までと上り詰めた方で、そんな熱意ある生きかたに引かれ、また、館長の話から、生前から私財をなげうって寄付してきたことを地元の町の方々に寄付してきたことを話してくれた。最後は私財はなにもなかったほどであったという。人の生き方、ほんと面白いものであり、そして自分とついつい比べてしまい、その不甲斐なさに、もっと頑張らなければ!そう感じてしまう。自分の夢に向かって・・・

 館長に厚くお礼を行って再出発!これから京都まで70km以上の距離を走らねば!気合を入れて勇みよく漕ぎはじめたのだが、ここで一つ失敗。なんと帽子を記念館に忘れてきてしまっていのだが、気付かずにどんどん進んでいってしまった。そんな時になんと「おーい!中村さーん!!」と声が!なんと館長さんがわざわざ車で追いかけてきてくれたのだ。ありがとうございました♪


雨宿り中・・・
日記を書く


今日も雨だぁ〜(T_T)

 改めて京都へと漕ぎ始めた。この先の観音峠までは緩やかな登り坂がずっと続くような道であったが、でも追い風にも恵まれて気持ちよく漕ぎ進んで行くことができた。記念館を出たのがすでに14時過ぎと、普通なら日没間までに京都まで間に合わない時間であったが、この追い風のおかげでグングン進み、この調子なら思っていたよりも早く着けそうだった。だが、そんな快適な走行は長くは続かなかった。天気予報では「曇のち晴」、そんな事を言っていたはずなのに、雨がポツンポツンと・・・ すぐに軒下へ避難!空はどんよりしていたが、でもすぐ止むだろうそう思ってちょっとここで雨宿り。そんな時間は昨日途中になっていた日記を最後まで書き終えながら、30分ほどここで休憩。まだ空は重かったが、とりあえず雨は止んでくれ、もうこれ以上降らないことを祈りながらまた出発した。

 再出発して5分と走らないうちに、またパラパラと・・・ そして時期に本降りになってしまった。もう山間部に入ってしまった為に軒下はなく、また時間的にも余裕がなかったため、結局、慌ててカッパを着て、このあと雨走行となってしまった。雨は止むことなくこのあと2時間ほど降り続き、そんな中を必死で漕ぎ進んでいった。もう予想外の連日の雨には辛くてしかなたがなったが、でも、風だけは今日は常に味方してくれ、グングン進んでいくとこができた。雨もいつの間にか上がった17時半頃、京都へと入る最後の峠”老の坂峠”を越えて、そして気持ちよく坂を下って行った。京都には先日メールで「よかったら寄って下さい♪」とお誘いしてくれた方がいて今日はそこでお世話になることになった。ほんとこういう人の出会いには恵まれ、助けられ、そして勉強させてもらっている。今夜もこうして京都を見下ろす団地「桂坂」へと入り、待ち合わせしていた”古橋”さんに自宅へと招いてくれた。


招いてくれた古橋さんと♪
かんぱーい!!


古橋さん一家♪
楽しく夕食

 この古橋さんも、とても生き生きとして目が輝いていた。遊びと仕事となんでも夢もって常に挑戦されている方で、ほんといろんな話を聞かせていただき、そんな行動力と夢に驚かされる、今日も刺激ある話しであった。趣味が共通していることが多いことからも、話とお酒は進み、気持ちよく一家団欒のひと時を過ごさせてもらって、最後はやっぱり写真だけでもとHPの更新をして0時過ぎに就寝した。

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