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更新日時 03/04/30 0:43
本日のデータ
日付
4月28日
天気
旅行日数
292 日目
体調
良好
本日の移動
 京都市〜大津市〜近江八幡市
走行距離
73.8 km   
現在地
滋賀県近江八幡市
総走行距離
12364.6 km   
宿泊地
湖畔公園
今日の出費
食費
451 円    
宿泊費
0 円    
観光費
0 円    
雑費
0 円    
経費詳細

 




新聞社

 この旅自体、自分は半分仕事と思って旅をしている。好きな仕事を辞めてまで出てきたこともあり、そして1年半という長期の旅、ただ遊びで終わっては仕事を辞めてまで出てきた意味が自分の中でなくなってしまう。そんな気持ちもあっていろんな人に会い、話を聞いたり、またはいろんな景色、資料館を見て感じ、勉強する。そんな半仕事の旅であるが、その中でも特に仕事の色が濃いのがこの日記と広報活動だ。この日記は自分が苦手な文章を書くということを自分自身の旅の戒めとして始めたのがきっかけで、今も毎日仕事のように締め切り(毎日の日記)に終われ、日々、この日記に振り回されている。また広報活動も、この自分の旅をいろんな人に伝え、何かを感じて欲しい、楽しんで欲しい、そんな気持ちからはじめた広報。また自分自身も旅が一部でもこうして認められ嬉しいこともあるが、でもやっぱり大変な作業。旅人なのに頭を下げて掲載をお願する。もう普通の営業活動を変わらないほどだ。もちろん冷たく対応されることも多々ある。今日もそんな営業活動にほとんどを費やした。


連日お世話になった古橋さんと
最後、固い握手を交わす

 今朝は6時に起きて今日は普通の家庭の一員のように朝から戦争のような忙しい日でドタバタしていた。古橋さん達の出社時間の関係で8時ごろには出ないといけない。そのため、もう必死になって日記の更新からはじめ、そしてそのあとは荷物の整理&自転車への積み込みと慌ただしい。でも、なぜかこんな忙しさの中に喜びがあった。それは、その慌ただしさがまるで旅人から、普通の会社勤めの人に戻れたようなそんな気がしたからだ。そんな不思議な嬉しさとは対照的に寂しさももちろんあった。それはもちろん人との別れ。古橋さん家族とはほんと楽しい時間を過ごさせて頂き、また京都についていろいろ教えてくれた。なにより京都を好きにしてくれた人で、古橋さんに出会わなければ、こうは思わなかっただろうと思う。出発のとき、硬い握手を交わし、そしてこれが別れではなく、出会いだったのだと自分に言い聞かせながら、次の再会を楽しみにし京都の町へと最後の観光へと漕ぎ始めた。ありがとうございました。

 この長い京都観光の締めくくり、まず向ったのは西本願寺!豊臣秀吉の寄進によってこの地に建てられ、今も残る遺構のほとんどは国宝に指定されている。そんな歴史と豪華な装飾をのんんびり見学、そしてもちろん参拝した。ちなみに御影堂は平成の大修復中で、約200年ぶりの本格的修理だという。その規模は凄まじく、巨大な寺を鉄筋の建物を全てを覆いつくし、そこには巨大な
工場が出来上がっていた。その工期も半端ではなく、10年間という日時を費やすそうだ。いかに巨大で特殊な建物かということが、こんなところからも知ることが出来た。


西本願寺


国宝!唐門(西本願寺)


西本願寺の説明

 こんな西本願寺からさっそくこの京都での広報活動開始!今までは選挙前ということで忙しく、また紙面的にも難しいとのことだったが、でも昨日に選挙も終わり載せてもらいやすくなるかも?!そんな期待もあったが、逆に昨日終わったばかりなので、記者たちがお疲れで人が居ないのではなか・・・ そんな心配をしながら新聞社へと電話を入れた。結果は”失敗”。ていよく断られた形となってしまった。軽く聞き流すような対応、そして「それなら、HP見させてもらってまた連絡します。」っと、名前も連絡先も聞かれることなく終了。改めて2社目、こちらもお疲れ気味のようで、電話から嫌々という感じが伝わってくる。無理やりここは押して、なんとか午後に本社に来ていただければ取材はする。(記事にするかは別)そんな対応で、名前もアドレスも聞かれることなく終了したが、でも可能性は残すことができた。ちなみにこんな電話のやりとり、自分の旅の内容、動機から1から話すことになるので意外に時間とお金(通話料金)が掛かる。


巨大な東本願寺


中はピッカピカ!!

 あまりよい広報活動はできなかったが、気を取り直して観光へと戻った。今度は東本願寺。これまた巨大な本堂と、そして隣接された施設、それらに驚かされっぱなしの、さすが総本山、京都!他の地域との規模の違いを見せ付けられた。ここでものんびり参拝して、最後の京都の観光になる東寺へと向った。

 
東本願寺:真宗大谷派の本山で、1602年(慶長7)徳川家康の後援で教如が西本願寺から分れて創立。現在境内には無料のちょっとした歴史ギャラリーが設けられてさっそく見学。さらにはホールまで設けられていて、ここも無料で本願寺についての映像が見れたりするようだが、時間がなくて残念ながら見ることはできなかったが、その施設の豪華さに驚かされた。もちろん本堂の絢爛豪華な金箔張りの仏壇にも目を瞠ったが、こちらのギャラリーも別な意味で凄かった。全てそのような近代建造物は地下に作られて、外見上では瓦葺の宿坊のような建物で、景観を損なわないようにと配慮された、またお金の掛かっている演出であった。

 東寺では行くのに苦労してしまった。距離的にはわずかな距離であるのだが、あまりの人と交通量の多さに圧倒され、そして自分はただの自転車でも敬遠される市街地の中で荷物満載。場違いのただの邪魔者でしかない。さらには大きな較差点では横断歩道もなく、また架けられた歩道橋には自転車道はない。知らない土地だけにそんなのは多々あり、いつも悪戦苦闘してしまう。だから、この連日の、電車や徒歩での観光がほんと幸せであった。もう行くだけで気力を消耗し、さらに自転車置き場にも悩まされ、なんとな到着できたときにはもうヘトヘト・・・ そしてようやく観光できると入った東寺ではあまりの拝観料の高さにビックリ(800円)。とくに資料館等があるわけでもなく、この料金を払えずに仕方なく遠目で見て歩いて終了。最後はちょっと寂しい観光となってしまった。


東寺にて


東寺の五重塔


東寺の説明

 ちょうど12時、先ほどの新聞社へ行くにはまだちょっと早い時間。というよりも、もう行く気を消耗していた。ここからあの人混み、車の中を、市役所近くにある本社まで走るのに気が重たく、また乗り気のないいあやいやな取材の記者に会うのも、こちらも辛かった。さらには、勝手に来て下さい、っと言う感じで、ちゃんとアポをとったわけでもなく、そこがさらに行く気を消耗させて、もう諦めて、このままもう滋賀へと走ることにした。

 今日も嬉しい快晴なのだが、嬉しい反面、暑さとの戦いの季節になってきたことを実感する日差しの強さであった。時刻は13時、ほぼ一番暑いだろうという時間に、必死になって坂道を登っていく。汗は滝のように額を流れ落ち、そして物凄い交通量から吐き出される排気ガス。おかげで顔は真っ黒となってしまっていることにこのあと気付いた。そんな交通量に悩みながら、さらには国道一号の立体交差にも迷わされ、それでもなんとか東山峠を越えてるが、さらに引き続き逢坂というもうひとつ峠が・・・ うーん、滋賀までの道、なかなか手ごわい!またまた立体交差に悩まされ、そして迷い苦しみもしたが、その先には峠でもあり、そして滋賀県入りの看板が!そこを気持ちよく風を切りながら下っていくと前面に琵琶湖が現れてくる。そんな琵琶湖とこの峠との間は、平野とも呼べるほどの平地はなくすぐに山なのだが、そこにはびっしりとビルが立ち並ぶ。これが滋賀の県庁所在地・大津の町であった。

 なんでこんなところに街が発達したのだろうか、京都に近い交通の要所だったためだろうか、城下町ではないだろうから明治以降の都市だろうが、それにしてもあまりの平地の狭い場所の都市だけに不思議な感じがした。そんな大津の町を交通量が多いながらも、坂を下ってきたこともあって気持ちがよかった。琵琶湖からの風がそうさせるのかもしれない。そんな気持ちよさから先ほどまでの重い気分はすっかり晴れて、だんだんウキウキ気分となり、なんだんかここで”リベンジ”がしたくなってきた。そう新聞社のリベンジだ!そうと思ったらさっそく行動開始!さっそく電話を入れようとコンビニの公衆電話へと立ち寄った。そんなとき、あるライダーに声をかけられて知り合った。名前は”白水”さん、北九州から東京までツーリング中だそうだが、元々はあまり旅をされないようで、私の姿を見て驚いたようであった。最初の言葉が「写真撮らせてもらってもいいですか?」そんな言葉から始まった。でもこのあとは意気投合。いろんな旅の話で盛り上がり、そして一緒に写真を何枚も撮る。こんな出会いがまた楽しい♪

 さて、リベンジへ!今回は「朝日新聞社」へとお願いしてみた。すると快く受けていただき、すぐに取材という形となった。県庁まで取材開始!記者・向井さんは、とても話しやすい方で、こちらの話をうまく引き出してくれ、こちらも話しやすい。また、旅の内容にもとても共感してくれて最後は共に肩を組んで一緒に写真まで撮る仲に♪お願いしてよかった!そう心から思う記者・向井さんとの出会いであった。


東山トンネル


大津にて知り合った
ライダー”白水”さんと


県庁前にて
朝日新聞・滋賀支局記者
”向井”さんと肩を組んで♪

 この後、気をよくしてもう一社へとそのまま電話を入れてみた。その先は「京都新聞・滋賀支局」。京都ではほんといろんな思い出を作ってきて楽しみ、そして足跡を残してきた。忘れられない大好きな地になった。そんな大好きな京都で広報活動が出来なかったことが今になって悔しくなり、こうして今、リベンジへと走った。その結果は・・・ ちょっと素っ気無い感じの記者の方が電話に出て、先ほどとは一変、いかにも仕事上での会話というのがしみじみ自分へと伝わってくる感じであった。自分の旅の内容をひとつひとつ細かく聞かれて、結局そのまま電話での取材となってしまったために30分以上の会話、電話代が痛かったこと・・・ そして支社へと出向いて写真撮影。電話の先の方は支社の重役の方で、やっぱり納得!っといった感じであった。写真撮影も事務的に済まして終了。でも、さすが重役の方だけに「明日載せます!」っと記事の掲載を断言してくれた。こうして2社の取材を終えたのだが、片方は記者という立場以上に親密に、もう一方は社会的な対話でおわるという内容、まったく正反対のちょっと面白い取材であった。ただ、この先、2度目の社交的取材だったということで、やや重い気持ちになってしまったのはいうまでもない。


琵琶湖沿いの気持ちいい
サイクリングロード


遠くには琵琶湖大橋


琵琶湖沿いを走る!



今日の寝床・公園にて

 この後は、近江大橋を渡って、琵琶湖沿いのサイクリングロードを走る。湖畔沿いには美しい綺麗な公園が延々続き、やや交通量は多いものの、でも自転車にとっては天国のような道であった。公園にはバス釣りであろう釣り人が至る所で楽しんでいた。そんな姿がとてものんびりしている景色に見え、こちらまでも心が晴れ楽しくなてくる。気持ちよく、湖畔を北へと進み、琵琶湖博物館へと到着した。ここは何人かより「いいところだよ!」っと情報を頂いていたので入ってみたかったのだが、タイムオーバー・・・ すでに17時になろうとしていた。ちょっと残念だが、先へと進み、寝床探しへと写った。だが、ベストなところがなかなか見つからない。一番こまったのが水がないこと、贅沢を言えば電源だ。それを探しつつ北上していくが、なんとか見つけたキャンプ場も使用料が高く却下。さらにその先のキャンプ場はシーズン外で水が出ず・・・ どうしようかと、日が傾く中でようやく見つけたところが岡山公園。なぜかココだけはキャンプ場でもないのにたくさんのテントが張られていた。ココしかない!そう迷わず思いさっそく散策へ。でも調べてみると意外に不便なところで、電源はないのはもちろん、水さえ、トイレの手洗いにしかない。さらには普通のトイレでは水がでなく、身体障害者用のトイレだけで、さらにはその水道の水受けが小さいこと!両手ほどしかないから無いのとあまりかわらないほどであった。こういう水の面から見れば、これだけテントがあってあるのが不思議なほどだが、でも、安心感があるために、ここで決定!さっそくテントを設営して、夕食タイム♪でも食材をなにも買ってこなかったので、ラーメンしかなく、それを寂しく頂き、いつもどおりHP更新作業へ、22時頃までその作業を続け、そこでまず1本目のバッテリー切れ、切がいい為にここで今日は諦めて23時ごろには就寝した。

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