毎日更新旅日記
旅の動機
旅の概要
旅の予定マップ
旅の持ち物
 
表紙へ

 

 

 


更新日時 03/05/16 20:00
本日のデータ
日付
5月15日
天気
旅行日数
309 日目
体調
ほぼ良好
本日の移動
 中島町〜能登島〜和倉温泉〜七尾市〜新湊市
走行距離
93.2 km   
現在地
富山県新湊市
総走行距離
13306.6 km   
宿泊地
カモンパーク新港
今日の出費
食費
1209 円    
宿泊費
0 円    
観光費
200 円    
雑費
480 円    
経費詳細

 観光費:七尾城史資料館
 雑費:和倉温泉総湯




やっぱり温泉!!

 ”病は気から、最近、お風呂に入れてなかったので今日が久しぶりのちゃんとした入浴だった。さすがに極楽としか言いようのない気持ちよさ、そして身も心までもがスッキリした。そのおかげで昨日のだるさもすっかりなくなった。やはりベトベトした汚い身体では心も身も病んでしまうだろう。入浴の大切さと良さを改めて感じた。

 そんな今朝は5時半の起床。昨夜、日記を全く手につけてなかったために朝から大忙し。身体の不調は胃がやや重い程度であり、昨日のようなだるさはなかった。ただ気を重くしていたのは今日の天気。昨夜から降り続く雨は今もシトシトと振り続けていた。上がる傾向なら嬉しいのだが、今日も明日も”曇雨”の予報・・・ 「せめてこのまま小降りで!」、そう願いながら日記の更新を続けた。

 9時には全て終えて出発!カッパを着ての重苦しい出発であったが、嬉しいことに漕ぎ始めるとほぼ同時に雨は止みんでくれた。いつまた降り始めるか分からない空模様だが、こんな嬉しいことはなく、軽快にまずは能登島へと向った。とくに島でどこかに立寄るというわけでもなかったが、2つの陸とを結ぶ橋を渡って見たい、そんな安易な考えでの島走行。なんだか島と思うだけで嬉しくなってくる反面、意外なアップダウンの多さにややうなされた。


ツインブリッジのと


ツインブリッジを快走♪


そして能登島大橋


 島を抜けていよいよ、待ってました!の和倉温泉♪ただ心配なのはまだ午前中というこの時間に温泉場が開いているかであった。電話で聞いてみると嬉しいことに他では珍しいのではないかとも思う、朝7時からの営業、さすがは温泉街!♪高級ホテルや旅館が立ち並ぶ中を走りぬけ、そして迷いながらも”七尾温泉総湯”に到着〜♪町のいたるところから温泉が噴き上げ、その湯量の豊富さを物語りっていた。さらには飲み場や温泉卵作り場も各所に設けられていて、さっそく飲んでみると・・・ 「しょっぱ!!」、そう、ここはよく温まると言われる”食塩泉”!そんなお湯にのんびり浸かって身も心もスックリさせて気持ちよく後にした♪

 この先の走行は嘘のように快適そのもの♪気持ちよく城下町・七尾市へと入りそしてさっそく小丸山城跡、そして、ちょっと山側へと寄り道して七尾城史資料館と見学し、さらにそのまま気持ちよく走りぬけ氷見市へとめざし漕ぎ進めた。

  和倉温泉:もとは湯の涌く浦「涌浦」と書いたそうだが、のちに現在の「和倉」へと変わった。開湯は今から1200年前で、海中に人が入浴するかのごとく白鷺が過ごしているのを見て、温泉の噴出を確認したのが起源だと伝えられているそうだ。最初のころは干潮時に温泉をくみ上げて使っていたそうだが、後の大名・畠山氏、前田氏によって整備され、明治に入り本格的に開発され始めたという。

 七尾城: 守護大名として170年間、能登を統治してきた畠山氏の居城で、今から約400年前に滅んだ中世の山城である。山全体が城であるという巨大さを誇っていたが、上杉謙信の侵攻と、内部分裂により畠山氏は滅び、のちに織田・前田家が入り、山城では不便と城下の小丸山に移ったと言われる。城跡近くには資料館が作られているが、その資料の内容にはやや物足りなさがあり残念だった。



しょっぱ!和倉温泉


和倉温泉入浴〜♪


七尾城史資料館

 国道をやや追い風にあおられながら気持ちよく南下♪途中、”大境洞窟”を見学し、そして当初の目的地である”道の駅・氷見”へと入った。ここまであまりに快適に来てしまった為にまだ15時前。まだ身体のほうは快調ではなく、予定通りここで終えようかと、迷いに迷ったが、あまりよい寝場所でもなかったこともあり、もう少し先へと進むことにいた。

”桜谷古墳”、・”義経社”など見学しながら海沿いの道をひたすら進む。快晴ならここからの展望は最高だそうで、海越しに3000m級の山々が連なるのが見えるらしく、このような景色は世界でも数少なく珍しいそうだ。が、今日のこの生憎の天気では残念だが眺めることが出来なかった。

 義経社:文治3年(1187年)に源義経が北陸路を経て、奥州下りの際にここを通りかかった時に、にわか雨にあい、ここで雨宿りしたという伝説があるそうだ。このように義経伝説いたるところにあるのが面白い。


大境洞窟住居跡


住居跡の説明


北陸を代表する古墳
”桜谷古墳”


義経岩と義経社


快晴なら
3千m級の山々が・・・


でも、軽快に♪

 伏木の町を抜け、そして新湊市の旧街道へと入った。地図を見てちょっと面白そうな観光名所がありそうだと思い旧道へと寄り道してみたのだが、ここで思わず収穫♪なんと春季祭り(獅子祭り)の最中であった!町の至る所で獅子が暴れ、そして祝い事のあった家々の前で踊る。時には天狗、時には武者と戦い大迫力!もうすっかり魅せられてしまった。この祭りだけは、実際に見てみないと分からない。資料や映像ではこの迫力を伝えることが出来ない、実際に見た人でなければ分からない良さがあり、またそこに、自分の見てきた日本の歴史・文化の答えがあるような気がした。ちなみに川を挟んだ伏木の町も今日は祭りだと言う。そちらは今回は”山(山車)”が出て盛大に行なわれるそうで、こちら新湊では秋季祭時に行うと言う。残念ながらもう伏木は過ぎてしまい、この何時降り始めるか分からない天気で夜遅くまで観光するわけにも行かず、やや悔しい思いもしながら、そのまま寝床探しへと向かった。  


新港市の獅子祭り♪


まさに美!!


見惚れてました・・・


 最後に通り道沿いにある”義人漁民塚”・”東橋”・”海王丸”と見学して、そして寝床は道の駅・カモンパーク新湊へと求めた。ここには嬉しいことに24時間開放の休憩所があり、そこの温かい室内で、さらには降り始めた雨にも濡れることなく快適にPC作業&読書、そしてさらには食堂で豪華に夕食♪快適&贅沢三昧で、22時頃、建物の人目の付きにくい静かな裏側の軒下にテントを張って23時頃就寝した。

 義人漁民塚:天保2年(1717年)、放生津の漁民400人は多年に渡る魚問屋の不当搾取に激憤して、奉行所へ直訴に及んだ。藩は漁民制度を改善し窮状を救ったが、直訴人であった漁師総代など2名、責任をとらされてこの地で刎首。人々は長くこの2人を「世直し義人」としあがめ、今も花が絶えなかった。江戸時代の”直訴=死罪”という厳しい時代背景ならではの出来事である。

 海王丸:旧運輸省航海訓練所の元大型練習帆船で、昭和5年に姉妹船”日本丸”とともに神戸の川崎造船所で建造されたそうだ。現役中は半世紀にわたり地球約50周をし、延べ11000名余りの海の若人を育て、平成元年、海王丸二世の竣工に伴い使命を終えてたそうだ。現在は一般公開されている。



義人漁民塚


ちょっとかわった東橋


「海王丸」


 ★今日のお食事♪
 ・朝食 : 菓子パン×3
 ・昼食 : 菓子パン×2・コンビニ弁当
 ・夕食 : 奮発!豪華に餃子・ラーメン定食
<< 前の日へ

since2001-4