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更新日時 03/05/24 19:15
本日のデータ
日付
5月22日
天気
旅行日数
316 日目
体調
良好
本日の移動
 能生町〜上越市〜浦河原村
走行距離
65.1 km   
現在地
新潟県浦河原村
総走行距離
13604.4 km   
宿泊地
ふるさと公園
今日の出費
食費
2141 円    
宿泊費
0 円    
観光費
400 円    
雑費
8190 円    
経費詳細

 食費:米含む
 観光費:春日山神社記念館・高田城三重櫓
 雑費:地図・小説・郵送料・コインランドリー




新しい土地


出発前・道の駅にて

 真っ青な空広がる最高の朝!さらにはそよ風が吹き、テントや寝袋の湿気を全て吹き飛ばし、その面でも気持ちいい朝を迎えた。こんな日が毎日続けば幸せなのだが、南から徐々に梅雨前線という招かざる客が近づきつつある。これに追いつかれる前に一気に北上してしまいたいところだが、その前に群馬・新潟の山々と寄っていかなければならない。楽しみな反面、その天気と、そして体力的、食事・寝床の確保の苦労、そんな不安と苦痛が同時に込み上げてくる。でも、「自分で決めたことだ!」そう常に言い聞かせて、徐々に山岳部へ向けて走り出した。

 今朝も朝からPC作業、そして出発はやはりいつもと同様、9時ごろとなった。国道8号線沿いに自転車道を軽快に走る。排気ガスもこなければ、車が接近してくる恐怖もない。そして電車の廃道ということでアップダウンも少なくただの下手な自転車道よりも快適な自転車道なのだ♪国道よりも一段上の海岸線沿い一直線に走る。眼下に国道、そして日本海の海原を眺めながら、ときには密集した漁村の合間を縫うように走ったりと、さすが廃線上だけにまるで電車に乗っている気分。こんな景色も悪くないと思いながらも、逆に国道や市街地から逸れてしまっている分、その土地の雰囲気を知ることができなかったりと、また観光地を見逃してしまうといった難点もある。だが、それを上回る快適さがこの道にはあった。

 距離はグングンと伸びて上越市へと入った。そこでまず目に付いたのが”親鸞聖人”という看板だった。さっそく覗いて見るとまずは”上陸の地”、そしてすぐ近くの居多神社、国分寺等も参拝し、そしてこの上越市の大きな目玉、春日山城跡へと向った。

  親鸞聖人・上陸の地:鎌倉初期の僧。浄土真宗の開祖で皇太后宮大進日野有範の長子。綽空・善信とも称した。慈円、のちに法然の弟子となる。1207年(承元1)念仏弾圧により越後に流され、そのときに能生町から舟でこの越後国府の地へ上陸したという。この間、愚禿と自称して非僧非俗の生活に入ったそうだ。その4年後に許されたそうだが、そのまま越後にとどまったという。この上越には親鸞が残した足跡が幾つも残されていた。


親鸞聖人上陸の地にて


居多神社


国分寺



春日神社


春日山神社

 巨大な山城。標高差数百メートルの堅城な造り。そんなイメージを私はこの春日山城に持っていたのだが実際は標高150mほどの小高い丘といった山であったのがまず意外であった。ただ、その山全体を巡って城郭がなされ、規模としてはやはりただの城ではなかった。だが、城としての面影は薄れ、各所に○○跡という標識が立つのみとなっていたが、山の中腹には堂々とした”春日山神社”と謙信公の銅像が建てられていた。また、山麓には目を移すとこちらは史跡はたくさん残されている。まずは春日神社、菩提寺として有名な林泉寺などなど、今でも見所いっぱいの史跡であった。

 春日山城:戦国の英雄・上杉謙信の居城として有名で、のち1579年に養子の上杉景勝に、1598年には堀秀治に引き継がれていった。しかし、堀氏が1607年に直江津港近くに福島城を建築して移り、城としても運命を終えたそうだ。

 春日山神社:謙信公を祭神として、旧高田藩士・小川澄貼晴が浄財を募り、また私財をなげうって創建したものだそうだ。ちなみにこの澄晴氏の長男が日本のアルデンセンと言われた童話作家・小川未明である。

 春日神社:越後守護・上杉氏の氏神。元はこの春日山城に在ったそうだが、築城に際し、この山麓へと遷座したそうだ。またこの春日山城の名前の由来ともなったといわれている。

 林泉寺:謙信公の祖父・長尾能景が父の菩提を弔うために創建した長尾氏の菩提寺。謙信公はここで7歳から14歳まで、文武の修行を励んだという。ちなみにここは拝観料がかかり、迷ったすえ、残念ながら拝観を諦めた。

 
このあとも史跡巡りは続く。こんどは高田城、ますはその城下の寺町を散策。そして東洋一の蓮の花が広がるという巨大なお堀を越えて、高田城跡を散策した。この城跡は巨大で、城郭には中学校、高校、さらには総合運動公園、博物館と、全てを収め、その規模の巨大さがそこからでも窺うことができた。だが、こうかくと面影をほとんど残してないように思えるかもしれない。実際にも元々天守や石垣がなかったことから、ほとんどその史跡は残ってなく、唯一三重櫓が近年い再建された程度であった。が、今でも伝える歴史、さらには町の財産までなっているものまである。それはこのお堀の東洋一の蓮と、三大夜桜として有名な桜並木、それらを眺め、今残る歴史を楽しんだ。

 寺町:1614年、高田城の築城に伴い城下の整備もあわせて行なわれ、寺院も集中されて今の寺町が出来たそうだ。今での63ヵ寺が残っている。

 高田城:1614年、越後太守・松平忠輝の居城として、幕府の命により国役負担で、伊達政宗ら含む13大名の下、約4ヶ月あまりで築城された城だそうだ。ちなみに忠輝は家康の6男である。天守は建築されず、唯一三重櫓がその役割を果たしていた。そんな城も度重なる火災により何度か焼失。そして明治を向え、第13師団司令部が設置され城郭は一変したという。ただ、この設置を記念に在郷軍人会が桜の木を飢え、それが三大夜桜のひとつとして今に残り、また明治初頭に農業用にと植えられた蓮は東洋一と呼ばれる規模を現在誇っている。


東洋一のハスの花が
広がるというお堀
(高田城跡)


高田城


今夜の野宿先


 こうして今日の観光を終えて寝床探しへ。国道253号へとやや戻るような形で入り、そして六日町方面へと走りながら寝床を物色。が、なかなか見つからず、結局見つけたのは18時過ぎであった。なんとなく目に入った”公園”という看板。丘の上にある公園でやや寂れていたが、ちょっと覗いて見ると意外に寝床としてはポイント高い、まるでキャンプ場のような立地条件のよさ!迷わずそこに決定して、あとはいつもどおり、小説を読んだり、HPの更新をしたりして夜を過ごす。ただ、ひとつ難点が・・・ それは携帯の電波が悪く、メール程度なら送れるのだが、HPの更新となると不可・・・ 何度か場所変えて試みるが、結局最後は断念して、22時半頃就寝した。

 ちなみに今日はこうして神社仏閣巡りが多くなり、それに多大な時間を費やしたようであるが、実際は貴重な12時から14時までの絶好の観光タイムは、この先の旅の準備に費やしていた。まずは本屋で、今もっている中部地区地図を出、関東地区という新しい土地に入ったために、その地図を購入。また、この先の登山ラッシュに備え、その山々の登山地図×4冊、そして小説もあわせて購入。一気に購入したせいか、7200円という途方もない出費になってしまった。本代も馬鹿にならない・・・ そしてコインランドリーで洗濯しながら、新しいこの先の地図が手に入ったことから今後の予定を立てる。どんなルートで行こうか、どの山をどこからどのように登ろうか、こんな時間が一番楽しくワクワクする♪不安もいっぱいだが、この先、何があり、そしてどんな出会いが待っているのか楽しみでもある♪

 〜追伸〜
 福井新聞に投稿ありがとうございました。どんな記事かは自分は残念ながら見れませんが、白山登山で出会った方とか、ほんと嬉しいです♪「たくさんの方に見て楽しんでもらい、そして何かを感じてもらえば!」そう思っているだけに、こうした投稿、たすかります♪


 ★今日のお食事♪
 ・朝食 : スーパー店屋物×2
 ・昼食 : パン・店屋物
 ・夕食 : ごはん&カニクリームコロッケ
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