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更新日時 03/06/18 9:16
本日のデータ
日付
6月16日
天気
旅行日数
341日目
体調
良好
本日の移動
 酒田市観光〜遊佐町
走行距離
55.8 km   
現在地
山形県遊佐町
総走行距離
14883.9 km   
宿泊地
大平登山口
今日の出費
食費
1175 円    
宿泊費
0 円    
観光費
1300 円    
雑費
0 円    
経費詳細

 観光費:山居倉庫資料館・相馬樓(舞妓演舞観賞含む)




酒田舞娘

 今日も慌ただしい観光であったが楽しく充実していた。また鶴岡に引き続き酒田も至るところに史跡や文化が残り、商業の港町としての酒田に今日は魅かれて行った。


沖縄民謡熱演!


出発前に長田さんと♪

 今朝はというとやっぱり朝からHPに更新作業に追われていた。6時半に起床し、そして長田さんに誘われて車内で電源を頂きながら9時半頃までかかってしまった。でも、合間合間に長田さんの楽しい話、さらには最近始めたという沖縄民謡まで弾き歌ってくれ、沖縄独特の文化をまた思い出し、また懐かしく思いながら聞き入っていた。

 また再会を約束し、それぞれの道へと10時頃出発した。曇という天気ではあったが、どんよりした重い感じはなく、久しぶりの日が薄い雲を通してではあるが降りそそぎ、日の気持ちよさを感じながら海沿いを走り酒田市街へと入っていった。

 町に入ってまず行なったのが広報活動。新潟では完全に失敗してしまったので力が入る。ただ山形の地方都市ということで、やや不安はあったものの地元紙の取材を無事に受けることができ、久しぶりの取材であったが、内容的にはあまり濃さはなく、ほんとうに自分の気持ちや思いを伝えられたかな?と思うやや不安の残る取材となった。

 さあ、観光スタートだ!どんな見所があるのだろうか?観光本を持たないだけに分からなく、唯一の情報がこの荒い東北地図にかかれた名所で、ますはそこ”山居倉庫”へ行ってみた。ただ昔の倉が並んでいるだけと思いきや、その倉というよりも立派な倉庫に驚き、そしてその規模に度胆を抜かれた思いであった。そのひとつでも大きいのにそれがなんと11棟も続くから先が霞んで見えるほどである。そしてその裏手には見事なまでのケヤキの木が並ぶ。強い日差しと強風を防ぐ為に植えられたものだそうだ。ちなみに今もなお農業倉庫として活躍していて1棟のみが資料館としてこの山居倉庫の歴史を伝えていた。

 ここで市の観光マップを頂いたのだが、なんだか予想に反して見所いっぱい♪!嬉しいのだが、今日は鳥海山登山口までと考えているだけに、そこまでいけるか不安になってしまう、見所の多さだ。さあ、あまりのんびりしている時間もない。まずは酒田奉行所跡地を見てまわりながら本間家旧邸へと見てまわる。とはいっても全て見るのは金銭的につらい為に外から眺め、そして各所でパンフレットを頂き、どんなところかをそれにより触れる。時にはそのパンフレットより興味ひかれ入館することもあるのだが、今回はさらに次へと進んだ。

  山居倉庫:明治26年(1893)に酒田米穀取引所の付属倉庫として船の積み下ろしに便利な最上川と新井田川とに挟まれたところに建てられた。今も建物はもちろん、船の搬入場なども残っていた。ちなみに資料館では倉庫の歴史はもちえろん、お米のあらゆることについて展示されていた。

 本間家旧邸:本間家は元禄2年(1689)「新潟屋」を開業し、以後、千石船による商いをする一方、土地改良、農業振興など行なってきた大庄家!この庄内藩には多額の資金を援助・投資し、藩と共に歩を進めてきた。「本間氏は藩の大スポンサーだよ」と言って町では口を揃え説明してくれた。


山居倉庫


酒田奉行所跡


豪商!本間家旧邸

 さてお次は、佐渡でも見た”石置杉皮葺屋根”が印象的な旧鐙屋、そしてすぐ前の市役所で一際目立っていた色とりどりの大獅子に惹かれて見学し、観光前半戦を終えて定食屋さんで一休み♪大盛りを頼むと、どんぶりに山とよそったビックリするほどのご飯に量であったが、でも、そのご飯の美味しさにあっという間に平らげてしまい、そして。さすが米所だと改めて思わせてくれた。

 
鐙屋:ここもパンフレットのみ頂いて雰囲気を知るのみになってしまった。ちなみにここは廻船問屋で江戸時代を通じて大いに繁栄したそうだ。現屋敷地は本町通りの居宅地側だけで、また、現在の家屋は弘化2年(1845)4月の大火で焼失後の再建だと言われているそうだ。


旧鐙屋


酒田の大獅子


豪華に昼食♪



浄福寺唐門

 お腹も膨れて後半戦スタート♪唐門が目立つ浄福寺と観光して相馬樓へと向った。「えっっ?!なんだここは!」、と門前に来て驚き、辺りをもう一度見回してしまうほどに、他とは違う異様さをほこり、違う場所に来てしまったかと思うほどであった。真っ赤な塀と、そして驚くほど華やかで豪華な室内が窓より覗く。遊郭か?そう思うような造りで、また観光地という雰囲気は敷地にはなく、料亭?旅館?といった感じで、大きな看板等もなかったこともあり、入るのをためらわた。もちろん、この自分の格好にである。短パンに登山靴。顔は真っ黒の汗だくで、そして髪はボサボサの若造・・・ 誰が見ても場違いである。どうしようと迷わさせたが、それでも、どんなところかという知りたさに勇気を持って入館。いや、入館というよりも旅館へと入るような待遇での接待をいきなり受け、さらにオドオドさせられてしまった。「パンフレットだけもらうことできますか?」、と、ちょっと申し訳なさそうにお願いしてとりあえず後にしようとしたのだが、こんな風体の私にも親切にこの料亭について説明してくれ、また、14時より格安で舞妓さんの踊りまで見れることを教えてくれた。その料金は300円とメチャ安!でも、それに入館料700円が掛かる・・・ 迷いに迷ったが、見てみたくなり、また、このちょっと変わった造りの料亭の建物自体にも興味を覚え入館してみることにした。ただ、まだ14時まで1時間ほどあったので、それまで他をまわってみることにした。

 相馬樓:この料亭の創業ははっきり分からないそうだが、1804〜1818年ではないかと言われているそうだ。当時は庄内第一の料亭として全国にまで名を高めていたそうだ。明治28年の大火で大概は焼失してしまったが、土蔵だけは残り、それを取り囲むようにして再建された。それが今もはっきりと見ることが出来た。ちなみにこの後、大正昭和と一流料亭として繁栄してきたが、戦後、徐々に衰退していき、平成7年に約200年の歴史に終止符を打つことになった。その後、保護運動が高まり、平成12年に現在のように観光地として再スタートした。


六角灯台

 時間がない。ほんとうなら14時にはこの酒田市を出て、鳥海山へと目指したかったが、見所いっぱいでどうもそういう訳にはいかなそうだ。それでも、14時まで見れるところまでと慌てて他の観光へと走った。向った先はすぐ近くの日和山公園周辺で、ここにはたくさんの史跡、観光名所が集まっている。まずは移築保存されている六角灯台、そして北前船を見てまわって、旧白崎医院と散策したところで時間いっぱい、また相馬樓へと戻り舞妓さんの踊りを見るべく入館した。

 六角灯台:木造六角洋風灯台で明治28年の最上川河口に施行されたもので、昭和33年の新式灯台完成まで活躍した。その後、保存のためにこの地へ移築されたそうだ。

 旧白崎医院:これも公園内に移築保存された大正8年に作られた歴史的建物で、1階は外科医院、2階は住居とした造りになっていた。館内には無料で開放され、見ることができ、また2階には、この移築の原因にもなった昭和51年の酒田大火の写真が展示されていた。


北前船


旧白崎医院


手術室・・・



相馬樓


華やかな室内

 絢爛豪華!その相馬樓のつくりにすっかり魅せられ、「おぉ〜!!」と驚きの声を上げっぱなしであった。数え切れないほどの部屋の数々がまるで迷路のように配置され、増設につぐ増設の為のつくりだという。そんな建物のほぼ中心には”舞娘けいこ場”が設けられ、奏でられる三味線の音色につられ行って見ると、そこで稽古中の様子を窺うことができた。

 14時、楽しみにしていた時間がやってきた。2階の紅花染めの真っ赤な畳が印象的な大広間へと入り、そして女将の愛嬌ある温かい話の後、いよいよ酒田舞娘の踊りが始まった。最後の記念写真以外の撮影は禁止と、その演舞を公開できないのが残念だが、その華麗な美しさと、そして柔らかで流れるような舞にしばし見せられていた。また、その曲も面白い。港町、商業の町としての賑わいを歌う歌詞が多く、聞いているとどんどんそんな江戸の世界へと引き込まれ、外を眺めると北前船で賑わう港町がそこにあるように感じた。最後にそんな舞娘さん達と共に記念写真を撮らせていただき、見所いっぱいの相馬樓を、まだ名残惜しい思いいっぱいであったが、後にすることにした。

 


舞娘さんと♪


日枝神社


光丘文庫

 さて、最後に先ほど時間的に見れなかった日和山公園内にある日枝神社、光丘文庫を観光し、15時頃に酒田市を後にし、やや慌てて明日の登山へ向けて鳥海山の登山口”鉾立”を目指して走り始めた。途中で買い物をしながらで、ブルーライン口についた時にはすでに16時過ぎ!ここから標高1150mまで約20kmの登り坂が始まる。日没まで間に合うだろうか・・・ やや不安を抱きながらも、いや、その不安さえ考えている間もなく、足はすでに坂道を漕ぎ始めていた。見上げれば目指す鳥海山がうっすらと望むことが出来た。明日の今日と同様のこんな天気というからそれほど悪くはないだろう。ただこうして明日の期待を胸に標高を少しづつ稼いでいった。


鳥海山


1000mまで頑張りました

 いつもの登山のことなのだが、「なんでこんな旅をはじめてしまったのだろう・・・」とこうして坂を漕ぎ上がる度に思う。普通の自転車の旅ならどれだけ楽しいだろうか?せめて、この道をバスやヒッチハイクで進めたら・・・ そう思いながらも、でも、自分で決めたことは遣り通したいと強く自分に言い聞かせ、また、明日の楽しい登山であることを夢見ながら、日暮れが迫っていたこともあり、ほとんど休憩なしでひたすら漕ぎ上がっていった。約半分、標高550m地点で最初であり最後の休憩。もうこの時点で自転車を降りると普通に歩けないほど疲労していた。明日がガクガク抜けてしまうのだ・・・ それでも漕がなければ・・・ 10分ほどの休憩でまた再出発し、このあと一気に1000mまで漕ぎあがっていけたのだが、その体力が自分でも不思議なほどであった。全ては体力でなく気力なのだろう。もう19時になろうとしていた。この地も登山口のひとつであり、山荘が建ち、また公園としても整備されていた。寝床としては悪くなく、今夜はここで決定!まだ150mほど標高を稼がなければならないが、でもそれは明日の早朝にして慌てて沈みゆく夕日に追われながらテントを設営した。

 もうぐったり・・・ 食事後、落ち着いた時にはもう21時になろうとしていた。それから日記の更新作業に入ったのだが、気力続かず22時半に倒れるようにして眠りについた。


 ★今日のお食事♪
 ・朝食 : パン×2
 ・昼食 : 外食・日替わり定食♪・アイス
 ・夕食 :

ごはん&レトルトカレー・菓子

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