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更新日時 03/06/22 7:01
本日のデータ
日付
6月21日
天気
旅行日数
346日目
体調
良好
本日の移動
 秋田市〜天王町
走行距離
31.9 km   
現在地
秋田県天王町
総走行距離
15011.6 km   
宿泊地
道の駅・天王
今日の出費
食費
480 円    
宿泊費
0 円    
観光費
0 円    
雑費
820 円    
経費詳細

 雑費:郵便送料




再スタート

 3日間という楽しい再会と休養。ほんと時はあっという間に過ぎていってしまい、あの賑やかさがうそのように、また一人旅へともどっていくことになった。登川さんの乗るバスを見送るときには、やっぱり自分は旅の最中なんだなと実感したが、でも、こうして旅をしてなくても、出会いと別れはどこにもつきもので、みんな旅の最中でもあり、成長の過程にあるんだろうなとも思った。

 そんな登川さんとの最後の朝は慌ただしく始まった。そりゃそうだろう、2人とも連日の寝不足であり、なかなか起きれない。私も日記を終えていないので6時には起きてやりたいと思って目覚ましを掛けていたのだが、起きることが出来なかった。いや、それでも起きたには起きた。さらにはPCの電源まで入れた。が、頭がいつまでもボーっとしてしまっていて、とても書ける状態ではなく、また就寝・・・ 時間いっぱいの7時まで結局寝てしまった。

 それからが騒々しい。いや、私だけだろう。登川さんはいつもの変わらずのんびり出発の準備をしていたが、私の方は自転車の荷物の整理にとまどり、今朝も時間に追われてしまった。そして8時過ぎ、登川さんを見送るべく駅へと共に出発した。

 意外と駅まで時間が掛かってしまい今日もやっぱり出発1、2分前の駆け込み乗車。最後の信号なんかは無視して走り出す始末であった。なんだか、これが私と登川さんとのスタイルになりつつあるような気がし、2人の自然な姿にも思えた。見送るバスはあっという間に他のバスで揉まれ見えなくなって去っていってしまった。最後はお互い旅の寂しさからかほとんど会話も無く、ただ固い握手だけを交わす別れとなってしまい、しゃべり足りないことばかりであったが、逆にそれが次の再会を今から強く思い楽しみにもなった。ありがとう

 休養の時間は終わった。日記を読んでもらうと”休暇”といった感じはしないかもしれないが、自分にとってはやっぱり休養となった。やはり体力面ではあちこち走り回り、そして夜は遅くまで会話を楽しみ、もうヘトヘトなのは確かだが、でも、それがいい。久しぶりの楽しむ旅行をした気分だ。いつもは常に何かを探し求め勉強のつもりでいつも旅をしている。そのため観光中も落ち着くゆとりもなく、またそうしたいとも思わない。でも、今回は遊ぶ為に入ったので、観光時も見方が全然違い、楽しむ旅が出来たと思う。いや、実際にこれほど楽しんだのは久しぶりだ!旅とは同じ内容のことをしても、その人の思いで全く違うものになりうることを、こうして改めて実感し、またこの後さらに、それを見て実感することになるのだった。

 登川さんを見送ってから、駅のベンチに腰掛け、約2時間のHPの更新作業。人通りの多いところだけにちょっと落ち着かなさもあったが、それでもここは集中力で乗り越えて、11時頃になってようやく今日の観光へと出発した。まずはこの秋田の地ではまだやってなかった広報活動!地元新聞社にさっそく連絡を入れてみたのだが、うなずく返事は「はぁ・・・ はぁ・・・」と覇気のない迷惑そうな返事ばかりで、「こりゃ、だめかな・・・」と、話しながら落胆の思いでいたが、意外に返事は「話を聞いてみたいので当社まで来てください。」とのことで、さっそく新聞社を訪ねた。


地元新聞に取材して頂く♪

 その記者の方に自分の思いや旅の内容を話すと、見る見る表情が変わり感心し共感し、そして驚きの声の連続であり、先ほどの電話とは別人のように話を聞いてくれ、そして自分の旅の思いを感じてくれた。さらに新人記者?も交えて最後は記念写真!そして大きく手を振り「頑張ってくさい!」と見送ってくれた。最初はダメかとも思った取材が、こうして共感してもらえるまで至り、自分も伝えられた喜びでいっぱいになりながら自転車を漕ぎ始めた。

 今日の観光は秋田城跡からスタート!「えっ、昨日も城跡を観光しなかった?」、と問われそうだが、実際に私もなんで2つも市街に?と思ったが、こちらは平安期の城跡なのだ。復元された戦国時代とは違う華やかな外郭東門がまずは目に飛び込み、そして資料館ではボランティア員の方が丁寧にこの史跡について説明してくれた。ありがとうございました♪

 また、この広い敷地は公園となっていて、その中にさらに護国神社が建てられていた。迷うことなく参拝し、そして境内に置かれていた国歌の元にもなった”さざれ石”も見て歩いた。案内板より国歌の意味をさらに詳しく知って、その思いを胸に刻みながら、自然と国歌を口ずさみながら後にした。

 秋田城:奈良・平安時代、出羽北部の蝦夷に備えるために、733年(天平5)出羽柵を移して秋田市寺内の高清水岡に築かれた城。発掘された遺跡などは無料の資料館に展示されていた。


秋田城跡


秋田・護国神社


国家・さざれ石



羽蝶蘭

 お次は観光パンフレットに載っていた土崎御蔵資料館へと行ってみたのだが、その資料館はどこへやら・・・ 新聞記者の方も言っていたのだが料理店とカラオケルームしかない。ただ唯一いつの時代の建築か分からないやや小さめな蔵が残され、中は羽蝶蘭の展示で狭いながらも賑わっていた。どんな花かもわからない私であったが、それでも小さな可愛らしい花に惹かれてしばらく心を和ませて、今日の最後の観光地、県立博物館へと向った。

 「悔しいー!」、残念ながらリニューアル改装中でメインの博物館は見ることが出来ず、併設された資料館のみであった。でも、この資料館に意外にも惹かれ、そして閉館時間いっぱいまで魅入っていた。そこは菅江真澄資料館というところで、この秋田に入ってからだろうか、道中なんどかこの名の碑を見つけ、気になっていた人物である。江戸時代後期の旅人で、その旅の思い、価値に感動を感じ、いろんな旅があることをここで改めて思い、そしてまた、旅と共にたくさんの日本画も残し、その温かさと、日本ならではの景色を克明に伝えているその絵に感動した。「やはり日本の風景は日本画か?!」とそう強く思い、日本画に興味をもった時でもあった。

 そして閉館後となってしまったが、博物館別館”奈良家住宅”も見学。すでに戸締りを始めていたが、でも、愛想のいい管理人は快く中を見学させてくれた。さすが豪農の旧家!とても農家とは思えない驚かされるばかりの造りであった。この東北の地、大戦の被害が少なかった為か、それとも土地柄なのかは分からないが、どこもかしこも規模が大きく、ほんとうに驚かされる建物ばかりである。


旧奈良家住宅


さすが豪農!豪華な造り


献血の旗を追加♪

 菅江真澄:江戸後期の旅行家で民俗学者でもある。本名は白井秀雄。三河の人で国学・和歌を学び、信濃・東北・北海道を遊歴、津軽・出羽地方に滞在。その紀行を「真澄遊覧記」という本で、たくさんの挿絵と共に残している。(1754〜1829)


道の駅・天王にて


見事な再現

 こうして今日の観光を終えて道の駅・天王へと入った。ただの、道の駅と思って入ったのだが、運動公園も併設されている巨大な敷地で、さらには、太古に関する資料館まで併設されていた。そして嬉しいことに温泉まである。到着後、さっそく閉館してしまっているものの、それでも辺りを散策し楽しみ、寝床も静かなところを見つけて、今日はなかなか快適なこの地で、さすがに疲れていることもあり、21時過ぎにはもう横になり寝てしまっていた・・・

※この日記の写真をクリックすると拡大写真が表示されます。

 ★今日のお食事♪
 ・朝食 : なし
 ・昼食 : 菓子・すき家牛丼
 ・夕食 :

ラーメン

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