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更新日時 03/07/07 23:47
本日のデータ
日付
7月 2日
天気
曇一時雨
旅行日数
360日目
体調
良好
本日の移動
 青森市〜三沢市
走行距離
98.8 km   
現在地
青森県三沢市
総走行距離
15633.6 km   
宿泊地
先人記念館公園
今日の出費
食費
110 円    
宿泊費
0 円    
観光費
100 円    
雑費
0 円    
経費詳細

 観光費:三沢市歴史民族資料館




雨と坂


出発前・角さんと♪


2日の東奥日報・夕刊

 真横に流れ走っていく霧雨を途方に暮れながら、とある神社で境内で眺め雨宿りしていた。まさか降られるとは・・・ そう思いながら、またすぐ止むだろうとも思い、いや、願い、それを期待していた。気の重く辛い時間であったが、その朝は今の状態とは一変していた。7時半頃であったか、、眠い目を擦りながら起床だが、でも、さすがは温かい布団の上で、その気持ちよさによく眠ることは出来た。また、部屋という安心感がそうさせるのだろう。野宿のときはどうしても外の物音が気になり熟睡できずに何度か目を覚ましてしまう。そして、いつもの自炊することもなく、おかず満載の朝食をめいいっぱいに頂き、そして最後は記念撮影をし、そして握手と共に再会を約束して、薄っすらと雲が出ているものの青空広がるもと、気持ちよく漕ぎ出した。

 と、ここまでは良かったのだが、この先からどうもうまく運ばなかった。まずは出発してすぐに稲垣さんと別れてしまったことだ。別れたというか逸れてしまった。信号差などで離れてしまったが、この先の道の駅でまた会えるだろうとそれほど気にはしてなかったのだが、それがどう擦違ったのか、会うことが出来ずに結局、なんの別れを告げることもなくこのあと再会することがなかった。方を落として新たに漕ぎ出すと、今度は霧雨が・・・ あれほど青空が見えていたのにどういうことだ・・・ と当惑しながらも、すぐ止むだろうとしばらく漕ぎ続けていたのだが、一向に収まる気配はなく逆に徐々に強まってきた。が、避難できるような軒下はなく、仕方なくそのまま走行を続けたのだが、霧雨といえどもバカにはできない。いつの間にか衣服はもちろん、バックまでビショビショとなっていた。「軒下〜!!」と叫ぶようにして逃げ込んだ先が冒頭にも書いた小さなこじんまりとした神社であった。

 濡れてしまったせいもあり寒い・・・ いや、そうでなくても今日は寒いだろう。それがなおさらビッショリの為に身体は振るえ、鼻水も止まらない。とりあえずカッパを羽織るが、しかし、濡れた状態で上着を羽織るわけには行かず、うすいこのカッパのみではこの寒さはとても凌げなかった。ただ、呆然と外を眺めながら昨夜買っておいた半額パンを口に運ぶ。なにか食べれば温かくなるだろうと思いもあり、またちょうど昼時でもあった。こうして約1時間、待ち続けたのだが、結局は止むことなく逆に霧雨から小雨へと変わってしまう始末であったが、その中へと仕方なくまた飛び込んでいった。

 向かい風に乗り、雨は容赦なく身体にたたきつけた。そして体温を奪っていった。必死で身体を温めようと漕ぐがなかなか温まらない。とくに濡れた手足は悲鳴絶えず上げていた。なにせ、もう何度も書くが、この完全防水のはずの登山靴はすっかり老朽化してしまい、雨がよく沁み込み入るようになってしまっていた。そのため、こんな小雨ですらもう靴の中はぐっしょりと濡れていた。それがまた寒さの原因にもなっていた。ただ、冬のあの辛い時期のことを思うと差ほどでもないことは事実で、寒いといってもたかがしれている、ただ装備の面でかなり今は劣ってしまい、靴は先にも書いたように濡れ、さらにはカッパは撥水をなくし水が透過してしまうのはもちろん、上下共に何箇所も数センチに渡る破れがあり、中の衣服を容赦なく濡らす。以前とはまた違った寒さが襲っていた。防寒着はいるらか持っているが、さすがにこれらまで濡らしたくなく、グッと我慢し、Tシャツとカッパのみで我慢していたのも大きな理由だろう。

 藩境塚:平内町と野辺地町との境にあり、ここが藩政時代の藩境でもあり、そこには高さ3.5mほどの塚が設けられ、それが現在も残っている。


湯の島(浅虫)


またまた雨・・・


藩境塚

  国道4号から県道8号へと入り今日は三沢市を目指した。この辺りは小さな峠こそあるもののそれを抜ければ後は平坦な道だろうと思っていたのだが、実際はひたすら波打つ苦痛の道。予想と反していただけに疲れも多く、また降りしきる冷たい雨の為に体温は奪われ、途中何度か身体を温めるために休憩しながらの走行であった。ちなみに大きくまた戻るようにしてまでこの道を選んだ理由はこの先の米軍基地の様子を窺いたかったのと、斗南藩について知りたかったためなのだが、そのためだけにこの苦痛を乗り越えている自分がなんだか滑稽に思え、バカらしくもなってきたが、でも、心中は自分で決めたことと後悔していない自分がいた。ただ、表面では「なんて自分はバカなんだろう・・・」とひとり嘆いていた。

 この米軍基地は他とすこし変わっていて、飛行場は自衛隊と共同だそうだ。そんなことで、さらに興味深かった。が、実際にはやはり外から基地を窺うのはほとんど困難で、その様子を掴むことが出来なかった。飛び交う自衛隊らしき飛行機(霧の中で見えない)、ただ、高く堅固なフェンスに四方は覆われた物々しい姿がそこにはあった。また、最後には基地の米軍移住区脇を通り、どこと変わらぬ生活がそこにはあり、小さい子供が公園で遊んだりもしていたが、その境にはこちらとは異世界の如く大きなフェンスでさえぎられていた。沖縄で見た現状に近いものがあったが、でも、こちらは自衛隊との共同施設ということが頭にあるせいだろう、まだ身近に感じれるところがあった。ただ、その実態はまったくわからなかった。ちなみにこの頃になると雨の方は上がってくれていた。

 基地をまわる様にして過ぎ、そして市民の森公園へと入った。ここに寺山修司という人の記念館があるということで、またアップダウンを越えて行ってみたのだが、どうも文学人のようであった。また概要を見てみるとなんとなく入る気が失せ、逆にすぐ隣に建てられていた三沢市歴史民族資料館の方にどちらかというと魅かれた。もう両方入る時間はなく、後者の方を選び入館した。もちろんここでは今のこの三沢市にある自衛隊の現状や歴史を知りたかったのだが、やはり歴史民族ということで民族系資料ばかりで、期待したそのような資料がなかったのが残念だった。ただ、この地は昭和初期、太平洋無着陸横断の出発地であり、そんな成功までの足取りが記され、そのロマンには魅せられ楽しませてくれた。


寺山修司記念館


みんなこっち見てる・・・


巨大な小川原湖

 また、ここの館長だろうか、とても親切な方で、旅の話や、キャンプ場を探していることを話すと、いろいろ料金など調べて探してくれた。そしてそこで得たのは、少し戻ってしまうが湖畔に無料だと思われるキャンプ場があるということで、さっそくそこへ行ってみたのだが、なんと有料で、それも2100円と、半端な金額ではない・・・ さすがに諦めてまた北へと進路を戻し、この先にある道の駅を目指すことにした。

 道の駅は小さな駅であったが、隣接された先人記念館ではちょっとしたレジャー公園となっていてその敷地公園も広く、そちらで寝床を求めることにした。ただ、夜に何度か見回りだろうか、それとも何かを片付けにきたのだろうか、係員らしき車が通り過ぎたが、何も言われることなく夜は深まっていき、また霧雨降り始める中、22時頃就寝した。


寝床でーす


浅虫温泉にて


先人記念館にて

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 ★今日のお食事♪
 ・朝食 : 角さん宅でご馳走に♪
 ・昼食 : パン×3
 ・夕食 :

ごはん&レトルトカレー・味噌汁

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