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更新日時 03/09/02 6:27
本日のデータ
日付
8月18日
天気
曇のち晴
旅行日数
407日目
体調
良好
本日の移動
 礼文町〜稚内市
走行距離
48.6 km   
現在地
北海道稚内市
総走行距離
17607.3 km   
宿泊地
宗谷岬公園
今日の出費
食費
1178 円    
宿泊費
0 円    
観光費
400 円    
雑費
3565 円    
経費詳細

 観光費:北方記念館
 雑費:フェリー代(礼文〜稚内・3250円)・雑貨




最北端


朝食は野菜いっぱい!


ギリギリの出発前

 最北端の到達は大失敗の朝で始まった。慌ただしく5時に起きた私は今朝もHPの更新から始まり、そしてその後は、昨日買ってきた野菜が豊富にあったことから、だいちゃん、浅野さんを囲んで豪華に野菜たっぷり味噌汁を作った。しかし、そんな豪華な朝食がいけなかったのか、その後、大忙し!今朝の便で稚内へと戻ろうとしていたのだが、その出港時刻はもう目の前に迫っていた。最初は「まあ、なんとか間に合うだろう、最悪、次の便もあることだ・・・」、とそう気楽な気持ちでいたのだが、しかし、時間だけは刻々と迫り、その割には準備は一向に進まない。かと言って次の便では午後になり、稚内の観光ができなくなってしまう。さらには、ここまで準備しておいて乗り遅れるのは悔しくてたまらない。急いで荷物をまとめて、そして最後はみんなで記念撮影♪そんな時間もないほどであったが、それでもこれは大事な時間であり、省くわけにはいかない。そして、「忘れ物はないよね!」と辺りを共に確認して、慌ただしく、のんびり3日間過ごさせてもらったキャンプ場を後にした。

 胸が痛い、息は上がり、心臓は自分でも信じられないほどに鼓動は早い。それでも無我夢中で港に向けて全速力で漕ぎ進み、そして激しく鼓動す胸を押さえながらも、なんとか出港5分前乗船。最終乗船ともあり、すでに船内は満員状態で室内では座るところもなく、仕方なく甲板のベンチに腰掛け、ようやくそこで一息つくことができた。さて、航海中は読書でもと思い、読み始めたとき、電話が鳴った。浅野さんであった。何かと思うとなんと、「ザックカバー全部忘れてったよ!急いで自転車で追いかけたけど、途中でパンク(汗)、港へ行くと言っていたおばちゃんに預けたから待合所に荷物が行っていると思う・・・」、その内容に思わず「しまった!」。最後確認したのに・・・ 自分自身への悔しさでいっぱいになりながらも、まあ、仕方がないとも思い間を置くことなく冷静になった。ただ、忘れたという行為よりも、こうしてたくさんの方に迷惑をかけたことが心を痛めていた。急いで待合所へ・・・ と行きたいところだったが、すでに乗船は終り、連絡通路は取り外されていた。そして間をおくことなく船は高々と汽笛を鳴らせ岸壁を徐々に離れ始めていた。その後、船のロビーにも確認したが、やはりここには荷物は届いてなく、やはり礼文のターミナルのようである。まあ、仕方がないとも思いながら、今ここではどうすることも出来ず、とりあえず、お礼の電話だけ入れ、航海中はもうこの失敗を忘れ、気持ちよく海の風に当たりながら読書にふけっていた。

 ザックカバー×4個を礼文島に置いたまま船は稚内へと入った。さあ、どうしようか、とも思いながらもやることはひとつしかない。そのターミナルへ電話で確認してみる。やはりそこに荷物が届いているそうで、さっそく次の便に載せてもらえないかとお願いすると快く了解してくれた。これでなんとか手に戻ってきそうだと一安心♪ほんと迷惑かけました。ありがとうございました。さあ、この荷物が届く次の便の入港まで約4時間。観光していればそのくらいすぐだろうと、さっそく前回見逃した観光地・百年記念塔へと向ったのだが、でも、ここは山の上・・・ 迷うことなく麓に自転車を置いて車道を約2kmてくてく上って行くことにした。やはり歩くほうが楽しく、稚内市街を見下ろしながらスキー場を脇に見ながらさらに上って行き、そしてほぼ丘の山頂、そこに100mくらいの高さはあるだろう、稚内百年を記念して建てられたという百年記念塔が、堂々と建ち、稚内の町を常に見下ろしていた。


稚内を空から?!

 塔内の1、2階は”北方記念館”として公開され、そしてもちろん最上階の展望台までエレベーターで上ることもできる。そこから見た市街はなかなか見事であるが、しかし、稚内からの展望といえばやはりサハリンの望むことだが、しかし、それどころか、利尻富士さえ見れなく澄んだ清々しさはどこにもなかった。

 それでも展望を存分に楽しんだ後は塔内資料館をのんびり見学し、そしてその後の15時までの余った時間は市内を散策しお買い物、そして最後はターミナルで自転車の荷物整理などして船を待ったのだが、こうしたのんびりして時間を過ごすのも悪くない。逆に時間をもらえたような気がしてちょっと得したようにも思いながら、ようやく礼文から入港した船の汽笛を合図に席を立ち、船へと向った。

 入港した船を前に貨物室、乗客室の方などいろいろ聞いてまわるが、なかなか荷物がない。最後はこのターミナルに問い合わせるが、それでもなかなかザックカバーを目にすることが出来ず、20分ほどほど待ち、ようやく忘れ物、数時間振りのザックカバーとの再会を果たした。ついつい「ごめんね〜」とも声を掛けてしまうが、しかし、先にも書いたように愛着心は意外になく、やはりこういう消耗品は消耗品でしか見れないところが私にはあった。そんな私だからだろうか、自転車にもそれほど愛着はなく、またよくありがちな名前をつけると言った事もない。旅後、使わなくなれば捨ててしまうのではといった勢いなのである。ただ、思い出を詰めた物、ネックレスやブレスレット、また思い出を頂いた物、たとえば頂いたキーホルダーなどは私にとっての大事な宝物であり、これだけは大事にするだろうし、今現在も大事に持ち歩いている。

 北方記念館:開基百年記念塔内にあるこの資料館には、この稚内の歴史(明治12年に初めてこの地に戸庁が置かれた。)を始め、郷土・自然さらには、樺太に関する資料も豊富に展示されていた。その中でもやはり目を惹いたのが樺太関係で、間宮林蔵を初めとする樺太探索の資料から始まり、南樺太開拓時代、そして昭和20年の旧ソ侵攻、樺太での悲劇が肌に伝わってきた。ちなみに樺太とは戦後約50年後、今まで廃絶していた航路が再び結ばれている。


百年記念塔


北方記念館


波ひとつたたない海

 こうして無事に荷物を受け取り、いよいよこの稚内市街を離れ最北端の地、宗谷岬へと目指した。市街を一歩離れればまた辺りは家ひとつどころか、農地もなにもない草原、または荒れ果てた世界だけが続き、その中を道路が一本果てしなく走る。そして左側には常に海を眺めていた。ただ、恐ろしいほどこの海が静かであった。いくらここが湾状になっているとはいえ、それでも地平線も望めるほど広大なこの海なのに波ひとつたたず、池どころかまるで沼のようであった。それはまさに天変地異の前触れではないかと思うほどであったが、海を改めて間近で見、ようやくその理由を知ることができた。果てしなく遠浅なのだ。そのため、ここまで波が押し寄せてこないのだろう。ただ、それにしても、風が無風ならともかく、この風にも関わらず落ち着いていたのが、気持ちが悪いほど私には不気味に見えた。


とうとう最北端

 最北端の地まであと一息だ!ただ、ここまで来ても、自分が最北端という地に立つ実感どころか喜びも湧いてこない。まだ自分の興味惹く資料館等が近づいて来た時の方がワクワクし、胸躍らされるかもしれない。この北端は以前、車にせよ2度目と言うことで感動薄いと言うのもあるだろうが、一番の理由はやはりこれがゴールではなく通過点であることだろう。いや、通過点どころか、余興である。この日本一周自体が私にとっては余興と思っている。日本を見ること、そして100名山を人力で登ること、さらには感じたことを伝えること、これが私の今の目標であり、日本一周自体はただそれに付属してくるだけのものであると思っている。それだけに喜びがこうして小さいのかもしれない。さらに話を大きくすれば、この北海道自体、とくに道南を抜かしては私には余興の旅になってしまっている。綺麗であり、また楽しいが、しかし、私の旅の主題からするとやはり本州が一番面白い。そんな気持ちで入ったこの宗谷岬、やはり胸高まることなく、ただ、通過点であり、またひとつの岬としてこの地を踏みしめていた。

 ただ、北端ならではの面白さもあった。まずはこの岬の丘の上、いちばん見晴らしの良いところに建つ、ここには古ぼけて不似合いなほどの展望台。これは旧海軍の望楼で、明治35年ロシアの圧力、緊張が高まり、宗谷の監視のために建てられたものだそうだ。そしてそれに反して平和を願う建造物も多い、その中でなにより目立つのが”祈りの塔”で、旧ソにより進路を誤った民間航空機がこの宗谷沖で撃墜され250人以上の犠牲者を出し、また多くの日本人も含まれていた。それほど遠くない昭和50年代の事である。その慰霊碑がこの祈りの塔であった。この他にも平和を願う鐘があったり、旧海軍戦の慰霊碑があったり、また時代を遡れば幕末の人”間宮林蔵”の勇ましい銅像も建てられている。ただ、今は小さなお土産店だけがならぶ岬ではあるが、しかし、そんなたくさんの歴史を刻む、北端の地であった。ちなみに余談だが、この岬には普通の灯台の他に、音、電波の灯台、3種類で海の安全を守っていた。

 間宮林蔵:江戸後期の探検家で常陸の人。伊能忠敬に測量術を学び、ロシアの南下政策に驚いた幕府はその調査のために北樺太への探検を命じた。1809年(文化6)、後の間宮海峡を発見。28年(文政11)シーボルト事件を幕府に密告。著「東韃紀行」。(1775〜1844)


宗谷岬灯台


大岬旧海軍望楼


祈りの塔


望楼より宗谷岬を見下ろす


宗谷の丘


宗谷に立つ間宮林蔵

 今朝のあの曇り空が嘘のように青空が広がり、こうして私が北端の地を訪れたことをまるで祝ってくれているかのようであった。何もかもが夕日に照らされ美しく、見惚れるばかりで、すっかりこの地が好きになり、またちょうど良い広場も見つけて寝床としても悪くない岬であった。ただ、楽しみにしていた夕日のほうは残念ながらのちに嘘のように辺りは霧に包まれ望むことが出来ず、そこには、まるで汽笛のように鳴り始めたる”音の灯台”が発する音色だけが鳴り響いていた。そして、自分にはまるで子守唄のように響き、20時ごろには睡魔に襲われ就寝してしまった。今日も日記を残して・・・

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 ★今日のお食事♪
 ・朝食 : ごはん・小松菜&豆腐・ジャガイモの豪華味噌汁
 ・昼食 : コンビニ弁当・パン
 ・夕食 :

カップメン・パン×2

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