毎日更新旅日記
旅の動機
旅の概要
旅の予定マップ
旅の持ち物
 
表紙へ

 

 

 


更新日時 03/10/04 6:07
本日のデータ
日付
10月 2日
天気
晴時々雨
旅行日数
452日目
体調
不調(腹痛など)
本日の移動
 水沢市〜平泉町
走行距離
20.4 km   
現在地
岩手県平泉町
総走行距離
20370.4 km   
宿泊地
金鶏山山麓キャンプ場
今日の出費
食費
1093 円    
宿泊費
300 円    
観光費
1810 円    
雑費
0 円    
経費詳細

 宿泊費:金鶏山山麓キャンプ場
 観光費:平泉文化史館(310円)・中尊寺(800円)・高館義経堂(200円)・毛越寺(500円)




黄金文化

 夜中に苦痛の為に何度も目を覚ましうなされる。気持ちが悪く、また胃がムカムカし吐き気がおさまらない。あまりに胃のムカつきに、整腸剤を夜中起きて飲み、その後はだいぶ落ち着いてようやくひと眠り済まして朝を迎えた。起床は4時半、しかし、未だ吐き気は治まらず、さらには頭痛までするありさまであり、そして追い討ちをかけるのが雨であり、気持ちまでもが奈落の底に落とされていた。なにもやる気が起こらない・・・ 今日の行動を中止しようかとも思いながらも、それでも日記だけは書かなければと、PCを立ち上げ集中力が途切れながらも、また時には胃腸の苦痛のあまり頭を抱えながら書き続ける。そんな中でも、朝食は無理して食べた。昨日買った安売り店屋物ミニ弁当だが、もちろん食欲は全くなく、さらには重いものだけに避けたかったが、しかし捨てるのも勿体なく口に押し込み、そしてまた横になっては体調を整え、そしてまた日記を書きと、つらいつらい朝となった。

 澄んだ空気の中に強い日差しが照りつける。夜中から降る続いていた雨が上がったとほぼ同時に、今度は青空が広がりだし、そして暗い気持ちもその日差しによって洗われ、そんな状態にも関わらず出発意欲が徐々に高まっていった。日記を終えた9時、お腹を抱えながらも、今日の観光地、平泉を目指して自転車を漕ぎ始めたのだった。しかし、思うように力が入らず、一漕ぎ一漕ぎが常に必死であり、気を抜いたものならそのまま転倒してしまうほどであった。傍から見ればふらついていたかもしれない。また、そんな自分であることが分かるから、もうこれでもかという位に、自転車をゆっくり漕ぎ、また、安全な歩道を進む。平泉まで僅か10kmちょっとの距離だからこそ、今日、こうして漕ぎ始めたのだが、その距離はそれ以上に遠く感じながら、まだ見えぬ平泉の地を目指していた。


平泉文化史館

 そんな状態でもなんとか到着した平泉。すでにたくさんの観光客で賑わっていた。そんな中、自転車を漕ぐのは苦痛であり、、またこうした体力状態で漕ぐのも、もうつらく、すぐに自転車を軒下に置かせてもらい徒歩観光へと身を移した。そんな時に雨が・・・ 移動中でなくてよかったと思いながらも、しかし、この連日、こうして変な天気が続くだけにもう嫌気がさし、いやそれを通り過ぎて、すでに空に対し呆れ始めていた。そんな雨から逃げるように入った先は、”平泉文化史館”という、中尊寺へと続く参道の賑わいからは信じられないほど静まり返った誰もいない資料館であった。客は私しかいないのはもちろん、受付の人すらいないありさまであり、さらには建物自体も一昔前の資料館といった感じで、古ぼけた冷たい感じがし、不気味ですらある資料館であったが、しかしそこが唯一の平泉の歴史を学べる資料館でもあり迷わず入館した。ただ胃腸の苦痛は治まらず、それに耐えながら、平泉は藤原4代の華やかな平泉文化を中心に見学した。

 平泉:かつてここはみちのくの政治の中心であった。北上川を挟んで束稲山を仰ぎ、訪れる人は歌を読み、義経の哀史に涙を流す。そんな平泉、12世紀、藤原の清衡は中尊寺を、2代基衡は毛越寺を、3代秀衡は無量光院と親子3代、100年にわたって仏教による平和な理想郷を建設した。また、平泉は義経が終焉を迎えた地でもある。そしてその義経をかくまったことを理由に鎌倉は頼朝の大軍に攻められ、京の都にも劣らぬ華やかさを誇った平泉は滅んだ。

 そしてその後はいよいよその平安の都にも劣らぬこの華やかな平泉文化を象徴する中尊寺へ、杉の老木が左右に連立し、またそれをさらに飾るようイチョウの木々が座り、その参道の雰囲気を高めているのだが、これが紅葉の時期ならなおさらだろうと思いながら踏み出したはいいが、しかし体調はその趣きある雰囲気とは相反し、一歩足を踏み出すごとに胃腸は悲鳴を上げるのはもちろん、吐き気まで催し、さらには頭痛までする有り様で、とても金色堂までの800mの道程を歩き通すという自信もなければ、このせっかくの雰囲気をを楽しむゆとりもない。せっかくこのようなところに来て、雰囲気を楽しまなくてどうする、と自分に投げかけた時にはすでに振り返り、参道駐車場脇へとまた戻り休憩所へと腰を下ろしていた。水分を取らなければと、ちょっと豪華に熱い紅茶を3本も購入し、それで、まだ残る半額弁当もうひとつを口に流し込む。しかし気分はさらに悪くなる一方で、そのままベンチに倒れるように仮眠してしまった・・・

 1時間半後、目覚めた時にはだいぶ身体の調子はよくなっていた。まだまだ胃のもたれや張りはあるものの先ほどではなく、また気持ちもだいぶ落ち着き、ようやく再度、中尊寺への参道へと踏み入れた。この趣がたまらない。”日本”という感じが溢れ、歩いているだけでワクワクドキドキさせられ胸高鳴る中、参道を一歩一歩登っていると、前方よりたくさんの団体客に混じって一人の見覚えのある人が目に入った。黒尽くめのその人はなんと”作家”であった。沖縄は与那国で知り合い、そして先日青森で再会し、そして今日、偶然にもこの中尊寺で再会した。同じようなところを巡って旅を続けているとはいえ、こうした偶然も珍しい。いや、話を聞くとさらに偶然は続いた。なんと昨日の寝床まで同じ場所で私は道の駅に脇の河川敷、作家はその対岸の河川敷という。さらに話を遡ると、なんと遠野の観光までも同日であったという。それで会えなかったのが逆に不思議なほどであったが、しかし今日、こうして会えたのもまた偶然である。積もる話も山ほどお互いあるのだが、しかし予定も同じく共にあり、また会えることを期待し、この場は別れ、中尊寺の参道を登って行った。

 中尊寺:岩手県西磐井郡平泉町にある天台宗の寺。1105年(長治2)藤原清衡キヨヒラが創立し、基衡・秀衡3代にわたって貴族文化の粋を移植造営。金色コンジキ堂・経蔵のみ残存。 ※広辞苑より
 金色堂:藤原清衡・基衡・秀衡3代の廟堂。1124年(天治1)藤原清衡が建立。藤原時代建築の代表作。3間四方の単層、屋根は宝形造ホウギヨウヅクリ。内外上下4面黒漆の上に金箔を張り、柱梁はすべて螺鈿ラデン。通称、光堂ヒカリドウ。金色院。※広辞苑より


体調整え中尊寺へ


なんと作家と偶然再会!


弁慶堂

 そんな参道ではたくさんのお堂が途中迎えてくれる。その中でも特に趣あり惹かれたのが弁慶堂。そして巨大な中尊寺本堂を過ぎていくとこの中尊寺創建当時の唯一の遺構である金色堂が見えてくる。しかし観光前に宝物館の見学。どれもこれも国宝ばかりの凄い仏具、仏像が展示されているのだが、しかし、実際、私には仏教については詳しくなく、また興味もいまのところそれほどない。ただ、その文化を見たいが為にこうして訪れたにすぎず、他の歴史資料館とは違いすぐに見終えてしまう。しかし、そんな中でも興味惹き足を止めさせられたのが、昭和30年代に行なわれたという創建以来始めての解体修理の映像であった。画面を通して見ているだけでもため息が出てしまうほど、緻密であり、また手の込んだ作業を何度も何度も繰り返し飾り付けられ作られていく様に驚いた。修理に7年も掛かる訳も分かり、逆によく7年で終わったなというほどの内容である。そしてさらに驚かされるのが、今ですら大変なこの作業を平安の時代にこの東北は平泉の地でやってしまうことである。このひとつから見ても平泉の繁栄の大きさを感じることが出来る。そんなことを踏まえて金色堂拝観へと向かった。

 雨上りの濡れた金色堂の屋根に光が射し、まるで光っているかの如く迎えてくれた金色堂。ちなみにこのお堂の中に、さらにお堂があり、それが金色堂の本体であり、名の通り目を奪われ息を呑むほど金色で輝いていた。もちろん全て金である。壁はもちろん、天井、柱、床、全てが金色で覆い尽くされ、さらには先ほどで映像で言葉を失ったあの程遠くなるような細工がどこ柱、壁にも施され、また同様に金で覆われている。私も含め、見る人、だれもが言葉を失い呆然と立ち尽くしてしまう。この世の物とは思えない輝きであり、また有り得ないものでもあった。それが目の前に光り輝くのだから夢でも見ているかの様であり、言葉を失ってしまうのだ。ちなみに金の輝きの他に細工には象牙、そして夜光貝による螺鈿も施されている。どちらもこの東北では考えられない品々で、この平安の昔の交易の力の強さをもそんなところからも感じさせてくれた。また話は変わるが、自分の最南端・波照間で思い出の品として買った首飾りも夜光貝を磨いたものであった。しかし、今は落としてしまったためになく、首には新たに購入した勾玉の石が吊るされている。ちなみにこれは青森の三内丸山遺跡で購入したものだ。


中尊寺本堂


こちらも重要文化財
能楽堂


金色堂
この建物の中には・・・

 また現実へと戻る。そう書きたくなるほど、あの黄金の輝きはこの世のものではなく、また参道へと戻った時には現世に帰ってきたようでホッとするほどであった。しかし、もう、ホッと休んでいる時間はない。この後、義経の最後の地となった高館に建つ”義経堂”、そして平泉の姿を見るべく平泉郷土館と観光し、そして最後は日本一の庭園とも言われ、また日本最古の庭園とも言われる”毛越寺”を見学した。どこもかしこもこの平泉の100年の繁栄を物語り、また逆に今のこのただ観光地のだけの町となってしまった平泉とに時代の流れも感じさせてくれた。

 高館:藤原秀衡が源義経のために築いた城館。1189年(文治5)義経最期の場所と伝える。岩手県平泉町の中尊寺の東約1キロメートル。判官館ホウガンダチ。衣川館コロモガワノタテ。
 毛越寺:岩手県西磐井郡平泉町にある天台宗の別格本山。850年(嘉祥3)円仁の開創と伝える。1105年(長治2)藤原清衡・同基衡が再興し、中尊寺をしのぐ大寺だった。平安時代末様式の庭園を残す。


大空には虹が架かる!


高館・義経堂


色鮮やかな義経像


毛越寺・本堂


毛越寺の見事な庭園


毛越寺にて



寂しいキャンプ場

 こうして観光を終えた平泉。まだ16時とまだまだ移動も可能な時間で寝床探しをしながら距離を延ばしたいところではあったが、しかし体調がそれを許さなかった。自転車をひと漕ぎするだけでもきついのに、とてももう移動する元気もなく、町で買出し後、観光案内所で教えてもらった金鶏山山麓キャンプ場へと向うことにした。有料であったが、今日の場合は仕方なく、もう早く横になりたい、それだけが今の望みであり、それがために、大した距離ではないが金鶏山山麓へと自転車を漕ぎ上がっていった。いや、正確にはそんな力はなく、すぐに自転車から降り押していた。さらには真っ直ぐ押し上って行くことも出来ずS字を描きながらもなんとか押し上げ着いたところが、ほんとにここか?とも疑問を投げかけたくなるようなキャンプ場らしくないキャンプ場であった。誰もいないのはもちろん、サイト脇には雑草が生い茂り、また粗大ゴミさえ散乱している有り様で、また、ログハウスがあるということであったが、それらも全てトタン板作りのなんとも質素で古びた感じであった。今さっきまで、平泉の目の見張るような豪華で手の込んだ庭園、そしてその周りに広がる公園なども綺麗に整備され、逆に綺麗過ぎてとても野宿できないほどの公園が続いていたのだが、それを今見てきたために、そのギャップが激しく、ここがほんとに同じ平泉か?とも思ってしまうほどであった。そんな廃墟のようなキャンプ場。あまりのその様に移動することも考えはしたが、しかしもうそんな体力もなく呆然と立ちすくんでいると、近くのおばちゃんが、「今日、ここ泊るの?」と声を掛けてきた。そして管理人さんに連絡してくれるという。思わず「今も営業しているんですか?」と聞いてしまったほど驚いた。まさか現役だったとは・・・ その後、管理人さんにサイト利用料300円を払い、とりあえずは落ち着いたものの、しかし、キャンプ場にいるもののなんだか野宿している気がやまない。やや落ち着かなくはあったが、それでも日の暮れる前からテントを堂々と張れると言うのは嬉しく、すぐにテントを設営し、そして食欲もあまりないものの、無理やりに買ってきた夕食を押し込み、そのあとは、横になり読書をしたりし、日暮れをまった。もちろんPCをやるというまでは集中力が持たず、また読書も結局は同じく集中力が持続できずに諦め、ただボーっと横になりながら夜を過ごし20時ごろそのまま就寝した。

※この日記の写真をクリックすると拡大写真が表示されます。

 ★今日のお食事♪
 ・朝食 : 半額ミニ弁当
 ・昼食 : 半額ミニ弁当
 ・夕食 :

うどん・ヨーグルト×3

<< 前の日へ

since2001-4