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更新日時 03/10/05 6:06
本日のデータ
日付
10月 3日
天気
旅行日数
453日目
体調
ほぼ良好
本日の移動
 平泉町〜一関市〜登米町〜河北町
走行距離
79.4 km   
現在地
宮城県河北町
総走行距離
20449.8 km   
宿泊地
追波川河川敷公園
今日の出費
食費
784 円    
宿泊費
300 円    
観光費
800 円    
雑費
0 円    
経費詳細

 観光費:教育資料館・懐古館・県庁記念館・警察資料館・森舞台




みやぎの明治村

 普通にごはんが食べれる。当たり前のことだが昨日はそれが体調不良のために出来なかっただけにそれが嬉しい。まだ全快というまでにはいかないが、それでもとりあえずは白いお米が食べれたことが、まず今朝の喜びであった。そして漕ぎ出す足も昨日のような重さ、ダルさはなく、風を切るのが気持ちがいい、健康であることの幸せを感じる反面、逆にそれが罪にも感じるほどであった。こう言う表現はやや変な気もし、もっと適切な言葉があるだろうが、私には適当な言葉が浮ばない。いや、自分自身の気持ち自体がしっかりと整理できていないせいかも知れないが、それにしても、逆にやりきれない気持ちが湧き、それがまた自分の健康を人の役にたてたら、そうやってやりきれない気持ちを今思い浮かぶ”献血”へと走らせ、仙台の地でもまた行なおうと自転車を気持ちよく漕ぎ進んでいた。(献血ページ献血掲示板


岩手日報さん
ありがとうございました

 さて、そんな今朝はやや寂れた雰囲気漂う平泉の金鶏山麓キャンプ場ではあったが、体調不良であったせいか気持ちよく寝坊するほど熟睡して朝6時に目覚めた。これほど気持ちよく寝たのは久しぶりであり、またそのお蔭か、だいぶ胃腸の調子も回復していた。そのお蔭で冒頭にも書いたとおり、気持ちよくごはんを頂き、そして昨夜できなかったHPの更新作業へとはいったが、しかし、起きるのが遅かったのが痛い、9時過ぎても日記は書き終えることは出来ず、またこれ以上昼間の貴重な時間を潰すことも勿体なく、妥協しての今日の出発であった。ちなみに今朝は久しぶりに快晴に恵まれ、朝から張り切って洗濯をし、恥かしながらもそれらを自転車に掛け干しながらの今日の出発でもあった。

 こうして走り始めてまず目指したのが岩手県と宮城県のほぼ県境にある”旧有壁宿本陣”であった。東北ではこうした本陣が残っているのは珍しく、また全国的にももちろん数少ない。そこはいかにも旧街道といった今も狭い路地に囲まれ、そして辺りには旧家が目立つ静かでひっそりとした場所に佇んでいた。もちろんそこを見学できることを期待して国道を離れ旧街道を進んでいったのだが、しかし、残念なことに一般公開はしていないようで門は固く閉ざされていた。楽しみにしていたところだけに悔しく、ただ外から中をウロウロしながら覗くことしかできなく、なんとも歯がゆい気持ちであったが、こればかりは仕方なく、また次の観光地、今度は”登米町”目指して自転車を漕ぎ出していた。

 それにしても天気がいい。風がやや強いのは難点ではあるが、しかしそれもほとんどが追い風と決して悪くはなく、今日はそんな青空と、そして広がる宮城の田園風景を眺めながら気持ちよく南下して行った。そう!宮城と言えば、ようやく今日、岩手の地を離れることになった。その県境である看板を見たときは、あまり県境には気にしない私でも思わず嬉しくなってしまい、看板をバックに写真まで撮ろうかとも思ったほどであった。そう思うほど、岩手は自分にとって長く、またその道程も過酷であった。しかしその分、他に変わるものない思い出もたくさん積み込んできた。そんな喜びも踏まえての新たな宮城の地で、どんなことが待っているのか、期待とまた不安の中、田園地帯を走り抜けていった。


旧有壁宿本陣


ようやく宮城県♪


刈り取り始まる

 そんな道中、スーパーで食糧調達。またそんなスーパーで電源も借りれそうな休憩所を見つけて迷うことなく、そこでPCを開きHPの残りの更新に取り掛かった。本陣に入れなかった分、今日の予定に余裕が出来たということもあり、ここでは約2時間みっちりとHPに取り組み、そしてほぼやり終えての気持ちよい再出発。こうして向った先は、先ほども触れた”登米の町”であり、地図から見る限りでは面白そうな明治の資料館が建ち並び、期待を膨らませて自転車を漕ぎ進めていくと、”みやぎの明治村”という看板が目に入る。これは期待を裏切らない場所だろうとさらに胸高鳴ったのだが、しかし逆に不安も生まれた。思ったよりも平泉から距離があり予想以上に時間が掛かってしまったことで、さきほどのHPの更新作業の時間が悔やまれながら、自転車を必死に漕ぎ進めていた。

 14時に到着した登米町。観光マップを手に入れて予想を裏切らない明治の遺構を各資料館と共に楽しむ。残る武家屋敷も見事ながら、とくに目を惹いたのが、和洋折衷作りの巨大なコの字型の学校、”旧登米高等尋常小学校”であり、もう最初の資料館からその豊富な資料、そして見事に再現された教室、そしてその豪華な作りに魅せられ時間を思った以上に費やしてしまった。この後も”懐古館”、”森舞台”、”旧水沢県庁庁舎”と観光はやや慌てながらではあったが、どこも親切な係員に迎えられ、時には丁寧な説明を添えて頂いたりと充実した観光を続けて行った。

 旧登米高等尋常小学校:明治21年に建てられた当時の洋風学校を建築を代表する建物で、純木造の2階建で、正面に向ってコの字に建てられている。両端には6角形を半分に切り取った昇降口があり、廊下は1階2階共に吹き抜けの片廊下式である。そんな建物、平成元年に大規模な保存修復工事を済ませ、教育資料と共に見応え充分な資料館。(国指定重要文化財)
 懐古館:昭和36年、旧寺池城址に登米町出身であり、、また名誉町民である渡辺正人氏の寄贈により作られた資料館。館内には渡辺氏が収集してきた伊達ゆかりの品々が並ぶ。
 森舞台:この登米町には藩政時代から伝わる「登米能」をはじめにたくさんの伝統芸能が盛んであり、長年町民の手により大切に受け継がれ、この森舞台は本格的な能舞台として近年建設された。
 旧水沢県庁庁舎:明治4年に水沢県庁舎として建てられ、明治8年庁舎が一関に移るまで使用された建物で、その後、裁判所や小学校としても使われてきたところである。こちらも和洋折衷の建物で明治を建築物を代表する貴重な建物。


旧登米高等尋常小学校


先生ハーイ!・・・


和洋折衷の校舎


登米町・伝統芸能伝承館
”森舞台”


旧水沢県庁庁舎


夕日照らす武家屋敷

 市街すぐ辺にはまだまだ下流まで距離はあるというのに、豊富な水量を誇る優雅な下北川が流れ藩政時代・伊達一門二万一千石と小藩ながらもこの川を利用した舟運で大いに栄え賑わっていたそうだ。そして今、小さな町ながらも、観光客耐えることない観光の町として栄えていた。今も残るそんな登米町の遺構をさらに武家屋敷を抜けながら散策したところは”旧登米警察署庁舎”で、擬洋風建築のその建物は昭和43年まで警察署として現役で活躍してきたそうだ。館内の資料も豊富なことはもちろん、なんと奥には留置所まで再現されており、ついつい自分から中へと入っていき、監獄してしまった。旅行のゲリラ野宿が悪かったのだろうか・・・ そんなことを反省しながらも、しかし仕方がなかったんですよ・・・ と言い訳を溢しながら一人演技。そんなとこも楽しみながら見てまわり、そして最後はこの町の特産物であった屋根のスレートなどによく使われる玄昌石の資料館も見学。しかし、今は需要も少なくさらには安い海外品が入り、掘れば掘るほど赤字となり採掘は行われていないそうだ。

 旧登米警察署庁舎:明治22年に建てられた擬洋風建築で昭和43年まで現役の警察署として使われてきた。昭和63年、現在の姿に復元され、館内には明治時代の警察署内の様子が再現され、木造の留置所、警察官の制服、装備等も展示されていた。


旧登米警察署庁舎


とうとう捕まった?!


優雅に流れる北上川



夜は作家と共に

 さて、そんな登米の観光を終えた16時半、そろそろ寝床を探しにと移動しようとしたそのとき、またまた昨日に引き続き黒尽くめの男がやってきた。もちろん作家だ。今日この登米も観光しようかなと言っていただけにもしかしたらまた会えるかもねと話してはいたが、こうもバッタリまた会えるとは思わず、また驚きの再会である。そして今夜は寝床を共にすることにし、向った先は国道沿いを南へと漕ぎ進んでいった河北町にある追波川河川敷公園であった。しかしこの公園、ただの河川敷公園かと思いきや大規模な運動公園として整備されており、落ち着いて寝ることが出来るか心配なところでもあった。暗くなった今も周囲の遊歩道には散歩やジョギングを楽しむ人が絶えず、その中でのテント設営だけに肩身が狭い。さらには明日は土曜日とあり、この運動公園も活気帯びそうである。そんな心配が膨らむが、しかし、今夜は2人ということもありやや心強くもある。もう、すっかり回復した胃腸、今夜は軽くアルコールを流し込みながら夕食を共に楽しみ、22時頃就寝した。

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 ★今日のお食事♪
 ・朝食 : ごはん・店屋物コロッケ・味噌汁
 ・昼食 : パン×2・菓子
 ・夕食 :

ごはん・インスタント合鴨鍋・ロールキャベツ

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