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更新日時 03/10/10 6:58
本日のデータ
日付
10月 8日
天気
旅行日数
458日目
体調
良好
本日の移動
 山形市観光
走行距離
7.5 km   
現在地
山形県山形市
総走行距離
20643.9 km   
宿泊地
尾形さん宅
今日の出費
食費
388 円    
宿泊費
0 円    
観光費
300 円    
雑費
0 円    
経費詳細

 観光費:最上義光歴史館(240円)・山形郷土館(140円)




巡りに巡って

 仙台という宮城の県庁所在地を出て、2日目にしてもう山形の県庁所在地へと入り、そして今日また新たな都市の観光が始まった。それにしても本州に入ってきてから距離が全く伸びない。それでいて、まだ、あそこも見たい、ここも見たいと心残りばかりであり妥協の連続である。そしてそんな観光や日程と共に終われるのがこの日記で、今朝も眠い目を擦りながらも”やらなければ・・・”という思いで身体を奮い立たせ朝5時からPCと向き合っていた。そして朝食では昨夜の手作り餃子をまたご馳走になってエネルギーを頂き、新たにPCと立ち向かうが、しかし、思うようには進まず時間ばかりがただ流れ今朝も連日同様に出発時刻はどんどん遅れて行った。


立派に復元された霞城


最上義光公の雄姿

 もう時計の針は11時近くを刺そうとしているころになって、ようやく自転車にまたがる。それでもまだ日記を全て終えていなく出発という気分にはなれないのだが、しかし、もうこれ以上昼間の貴重な時間を無駄には出来ず、やむ終えずこうして自転車を市街地へ向けて漕ぎ始めた。こうしてまず向った先は霞城公園(山形城跡)で、そこにある”山形郷土館”をまず目指し、こうしてこの城跡公園へと足を踏み入れたのだが、まずここで思わず声がこぼれるほど驚いた。それは見事に復元された白壁眩しい巨大な大手門の姿にであり、もちろん復元なのだが、それにしてもその大規模さに驚き、さらにはその大手門を支える石垣の下にはお堀の水が蓄えられ、城の雰囲気をより高めてくれていた。城跡と聞いていただけに何も期待していなかったこの山形城なのだが、その分、余計にこうして驚きも大きく、城門を越えたものの、何度も振り返りその見事な大手門に魅入っていた。そしてその先に迎えてくれたのが、最上義光像でその雄姿に見惚れながら、始めたのが観光ではなく今度はメールの返信作業で、そんなことをしながらこの公園である時間を待っていた。それは11時半、その時刻にラジオゲスト出演が待っているのだ。このHPを通して「よかったら是非に!」と声を掛けていただき、こうして”FM喜多方”に10分ほど電話で生出演。やはり電話というのはちょっと苦手で旨く言い伝えられない所もあったが、それでも今回も無事に終了。ようやく今朝から張り詰めていた肩の緊張をほぐして、こうして観光を始めたのだった。


旧済生館(郷土館)


山形郷土館にて

 ここからは、山形の資料館の見学から始まり、そしてそのまま資料館を巡りに巡って観光を終えたという感じであり、何も身体を動かしてもいないのに、足りない頭を資料館で無理に使っているためかさすがにややお疲れの17時ごろの帰宅となった。ちなみにそんな資料館は先ほども紹介した”山形市郷土館”で始まり、”県立博物館”、”山形美術館”、”最上義光歴史館”、”教育資料館”、”旧県会議事堂・旧県庁”と見てまわったのだが、こう書き並べてみただけでも、自分でもよく1日でまわったものだと改めて感心してしまうほどである。ちなみにこれら資料館はほとんど何らかの割引がついていた。今、この山形県全域、国民文化祭という大きなイベントで盛り上がり、そんなイベントがこうした資料館までも反映され、無料だったり、割引料金であったりと、もう自分にとっては嬉しい限りで、さらにこうして観光に花が咲いた。

 山形市郷土館:旧済生生館という病院として明治11年に建てられたこの郷土館。今はその病院当時の資料、そして医療に関わる資料と中心に多数の資料が並んでいた。そんな洋風建築の建物、色、形共に奇抜で、なんとその構造は角面からなる円形で、その円の中心には中庭が設けられ、その特異な作りにも魅せられる郷土館であった。ちなみに現在は霞城公園内にあるのだが、昭和44年の修復工事の際にこちらに移築したそうだ。

 最上義光歴史館:出羽の戦国大名と言えば”最上義光”、戦国時代も好きなだけにこの資料館ではそんな最上氏の歴史についての資料に大いに期待していた。この最上も好きな割にはあまり詳しく生涯を知らなかったからなおさらで、そんな時に、こんな名前の資料館を見つけたものだから入らずにはいられない。しかし、立派で巨大な建物の割には中の展示スペースは少なく、さらにはその生涯についてはほとんど触れられてなく、刀や兜などの遺品が展示されているだけで、自分的にはかなりのガッカリスポットとなってしまい、肩を落としての退館となった。ちなみに最上義光とは ・・・ (以下広辞苑より) ・・・ 戦国末〜江戸前期の武将。出羽の山形城を拠点に庄内地方に勢力を築き、上杉景勝・伊達政宗らと争 う。豊臣秀吉に帰順し、関ヶ原の戦では徳川方に従って、山形57万石を領有。(1546〜1614)

 教育資料館:木造2階建てのルネサンス様式を基調とした左右対称の巨大な建物が迎えてくれたところは、旧山形師範学校であり、現在は教育資料館として昭和55年に解体復元工事を経て公開している。館内には多数の復元されたジオラマを中心に豊富な教育に関する資料を取り揃えていて、いつまでも見ていられるほどであったが、しかし、こうした教育に関する資料館は今までに何箇所もみてきているだけに読み返す部分が多く、またその資料のあまりの豊富さにやや疲れを感じる資料館ともなってしまった。しかし、お勧めなところだ。

 旧県会議事堂・旧県庁:この1週間、国民文化祭の会場の一部として使われていた両建物は大正5年に建てられたレンガ作りのルネサンス様式の建物で、大火によりその前の庁舎が炎上してしまったこともあり、耐火性を重視したつくりとなっていた。ちなみにこの建物もやはり老朽化が激しく、昭和61年から10年掛かりで修復工事を行い、今、また外観、そして内装ともに見事な建築模様を見せてくれていた。また、中に展示されている資料も豊富で、県庁舎とともに歩んできた歴史を詳しく紹介し、建物、歴史とともに楽しめる資料館となっていた。


最上義光歴史館にて


旧山形師範学校


教育資料館にて
(旧師範学校)


旧県会議事堂


旧県庁舎


県庁舎内を散策



お世話になっている
尾形さん宅


尾形さん一家です

 17時、こうして帰宅した尾形さん宅ではやっぱりやり残したHPの更新作業にまた追われることになった。しかし、それも夕飯までにはようやく形だけでもやり終え、そしてその後は存分に夜を楽しんだ。「これは美味しいから!」と進めてくれた”とんかつ”、これが、ほんと柔らかくて美味しいこと!そんな夕食と共に今夜もお酒も頂き、そしてやっぱり旅や山話で盛り上がり、こうして楽しい夜は深けていき、気付けば23時半、その楽しさのあまりやや遅い就寝となった。

 ちなみにそんな夜に旅の話の中でカッパの話題になった。そして今使っているカッパがあまりに消耗が激しく貧弱な話をすると、なんと「使っていないカッパがあるからとよかったら着てみて。」と、そしてサイズも悪くなく、なんと頂けることに。まさかこういう展開になろうとはと自分でも戸惑いながらも、しかしそのゴアテックスの高級カッパを頂けたことは、今までのカッパの雨の浸透が激しく苦労し苦しんでいただけに、涙が出るほど嬉しく笑顔が絶えずに何度も鏡の前で試着をし、その喜びを実感しているほどであった。ありがとうございました。これで雨対策は万全に!靴も雨具も一新してこれからの雨、寒さにも負けずに頑張るぞ!と気合の入る夜であった。そんなことで、これからのカラー、今までは赤・黒であったが、明日から緑と変わる。あまりに今までのカッパが長かっただけに鏡に何度も自分の姿を映し出したが、でも自分の姿のようでないように感じるほど緑の自分が不思議な姿に写っていた。


たっくんです♪


シャケだぁ〜


カッパ頂いちゃいました♪
ありがとうございます

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 ★今日のお食事♪
 ・朝食 : ごはん・漬物・餃子など
 ・昼食 : パン×3
 ・夕食 :

ごはん・とんかつなどなどいっぱい

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