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更新日時 03/10/14 22:01
本日のデータ
日付
10月12日
天気
曇のち晴
旅行日数
462日目
体調
良好
本日の移動
 米沢市観光
走行距離
27.4 km   
現在地
山形県米沢市
総走行距離
20864.8 km   
宿泊地
三治さん別荘
今日の出費
食費
110 円    
宿泊費
0 円    
観光費
0 円    
雑費
0 円    
経費詳細

 




為せば成る

 「為せば成る為さねば成らぬ何事も成らぬは人の為さぬなりけり」という座右の銘を私は上げているが、しかし、実際のところこの言葉を残した上杉鷹山公について、どんな人物なのかよく知らないのが本当のところで、なんとなくこの言葉に惹かれて、また座右の銘も何もないのでは寂しいと思い、そんな時にこの言葉をふと見つけたことにより決めたのが本当のところだ。そんな私の座右の銘、その心はどこにあるのか、今日はそれを見てみたく、鷹山が残したこの米沢の地の観光へとお世話になっている情野さんと共に市街へと自転車を走らせた。

 ただ、そんな日の朝はやや憂鬱気味・・・ なにせ雨だ。ただ、野外テント泊でなく地元静岡からわざわざ来てくれた宏也の車泊であったのは救いである。しかし、すぐに観光と言う気分にはとてもなれず、6時半起床後、とりあえずは昨日の写真だけでもHPにUPしておこうと、降り続ける雨を横目に車内でPCを打たせてもらっていた。そして9時、自転車を置かせてもらっていた情野さん宅へと送ってもらい、そこで宏也とはお別れとなった。ただ、あと2ヶ月で旅は終え地元へと戻ることになるのでそれまでの別れである。出会いの時と同じく普通にお互い見送って情野さん宅へとまた改めてお邪魔した。この普通さがなんだか温かく感じた。宏也くんありがとうございました。

 こうして情野さん宅へと戻ってきたのだが、しかし落ち着いてのんびりしている時間はない。今日中に米沢観光を済ましてこの先の予定を考えれば喜多方まで走りたく、慌ただしく自転車にまたがって市街へと漕ぎ始めた。情野さんも忙しいながら時間を作ってくれ市内を共に走り案内してもらえることになり、雨の上がった米沢盆地を久しぶりの併走え気持ちよく走り米沢市街へと入った。そしてまず向った先は、この米沢の歴史を見るべく”伝国の杜”と呼ばれるところで、上杉博物館の他、ホール、能舞台場まで併設されている平成13年オープンしたという真新しい巨大な建物へと入った。そして常時展示室ではこの米沢の歴史、特別展ではこの博物館貯蔵の国宝の洛中洛外図をはじめ、全国からあつめられた洛中洛外図をずらりと展示され、その金屏風絵の数々に圧倒されながらも、じっくり見学。あまりに魅せられ長々と魅入ってしまうのでちょっと情野さんにも申し訳ないほどであったが、しかし、見ずにはいられないほど貴重な展示が特別展だけに並んでいた。ちなみに今この山形は国民文化祭最中とあり、大いに盛り上がり、さらにそれに拍車を掛けているのが皇太子殿下の御来県だろう。そんなこともあって、こうした貴重な資料がそろっていただろうし、また伝国の杜前の野外ステージでは学生によく演奏会が行なわれて、この山形南端の町も大いに盛り上がっていた。しかしただ残念であったのが、いまいち知りたかった人物である”上杉鷹山”公の人物像が浮かび上がってこない。どんな人物だろうか、はっきり分からないまま町の至る所にある鷹山公の銅像を見つめていた。

 米沢の歴史:戦国期には伊達氏の拠点として繁栄し、あの伊達政宗の生まれ育ったところでもある。伊達氏の仙台移封後は蒲生氏郷が入るが、長くは続かず次に収めたのが上杉景勝であった。120万石の大藩であり、この米沢は一地方であったほどだが、しかし、関ヶ原の役後減封させられ、米沢30万石となった。そしてさらに不運は続き家督相続問題により最後は15万石まで減らされ苦しい藩財政を強いられ続けた。そんな時に上杉鷹山による藩再生が行なわれたのだった。
ちなみに今の米沢市は山形県南部の米沢盆地の南端に位置し、人口は9万3千余りだそうだ。

  洛中洛外図:京都の市中とその郊外の名所や生活風俗を描いた絵画。室町後期より主として屏風絵として発展、時に絵巻や画帖も作られた。狩野永徳筆上杉家本などがある。※広辞苑より

 上杉鷹山:江戸後期の米沢藩主。名は治憲。高鍋藩主秋月種美の次男。重定の養子。細井平洲を師とし、節倹を励行。行政の刷新、産業の奨励に努め、荒地開墾に尽力。(1751〜1822) ※広辞苑より


さあ、今日も元気に出発!


旧上杉伯爵邸・門前にて


旧上杉伯爵低


内庭にもびっくり!


巨大な佇まい


庭園も見事!

 この後もまだまだ観光は続く。”旧上杉伯爵邸”を散策したり、また、その見事な庭園もいつもならジッと見つめ観光するのだが、今日は2人ということもあり、遊びながら、また冗談も交えながら楽しく見学し、そしてお次は上杉神社。連休中ともあり、また文化祭の開催中ともあり、またさすがは米沢観光の中心的存在だけに多くの参拝客で賑わう中を2人、ここでもいつもならひとり黙々と観光客を横目に歩くところなのだが、今日は他にも負けないくらいの笑顔、そしていかにも観光客という雰囲気を漂わせながらではないかと自分で思いながら楽しく歩いていった。なにせ、ちょっとマイナーな資料館などでは、「何か研究されているのですか?」と聞かれるほどである。しかし今回ばかりは2人でという楽しさも味わいながら参道を行く。途中、上杉鷹山公の例の「為せば成る・・・」という言葉が刻まれた石碑を見つけた時には、思わず飛びつき記念写真。やはりこうして自分の座右の銘が彫られているというのは嬉しく、そしてその隣に目を移せば今度は上杉鷹山公のほぼ等身大ではないかと思うほどの大きさの銅像が建てらていた。そして、これにも思わず駆け寄って肩を組みたくなるほど親しみを感じたのだが、しかし、その台座が邪魔をする。身長ほどの台座の上に建つのだから肩は簡単には組めない。普通の人の少ない平日ならともかく、この込み合いの中ではさすがにただ見上げるしか出来ずに見送るしかなかった。友と会ったのに話も出来ずに別れるような悔しさである。

 旧上杉伯爵邸:旧上杉茂憲伯爵邸で鶴鳴館とも呼ばれており、銅板葺き、総檜作りで、東京の浜離宮を真似て造園された庭園もあり、どれもこれも見事なつくり。現在は上杉記念館として無料で中が見学でき、また、食事も中でとれる様になっている。

 上杉神社:12世紀に長井氏によって築城されて以来、長井、伊達、蒲生、上杉諸氏の居城であった米沢城跡に建ち、明治4年上杉神社とし、翌5年置賜県社に列せられた。


上杉神社へと・・・


為せば成る!


上杉神社

 こうして楽しく上杉神社を参拝後、2人で川中島合戦を再現♪ただの記念写真だが、気分は上杉謙信と武田信玄だ!そんなお遊びもしながら、今度は物産館散策。これら施設が同敷地内と言ってもいいほど隣り合っているからほんと観光には便利な町である。この物産館では2人で恥も忘れて試食を楽しむ。高畠名産のワインにブドウジャム、もちろん米沢牛もあれが、それにちなんだスナック菓子も豊富にある。そして日本酒までも並び、試食は気持ちいいほど進みに進み、出る頃には2人してほんのり顔を赤くしているほどで、それを見て2人で大笑い。何をやっているんだと 言い合いながら物産館を後にし、この後はちょっとマイナーな観光地を散策。そして最後は本格的に腹ごしらえ♪米沢ラーメンをこんどは試食ではなく、大盛りを買って頂き腹いっぱいに満たした。


信玄!×謙信!


物産館で試食♪


米沢ラーメンも

 頑張る姿はほんと美しい!感動のあまり思わず目が潤むほどである。「ふぅー」と動けなくなるほどお腹を満たした後は音楽鑑賞に引き込まれこうして感動の中にいた。先ほども紹介した野外ステージで主に中高生の吹奏楽部による演奏に聞きほれているのだ。音楽観賞自体はそれほど好きというほどではなく、好んでは聞かないが、しかし、こうして頑張っている人、さらには舞台と緊張に中での演奏、どんな気持ちで演奏しているのか、また、このための練習の苦労、努力が、演奏すべてに現れている。そしな人の気持ちが伝わる演奏が好きなのである。そんな演奏に聞きほれながら、頑張る人の目にもほれている。そんな目にも自分は感動し、またそれが新たな自分のエネルギーともなる。それだからこそ、もう時間を忘れて聞き入ってしまい、最初は1校だけの予定が、2校、3校とついつい続いてしまったのだが、しかしもういい加減タイムオーバー・・・ 悔しさいっぱいで鳴り響く演奏に後ろ髪引かれながら仕方なく自転車を漕ぎ始め帰路についたのだった。

 しかし、そんな帰路も時間もないのにちょっと寄り道。さすがに時間的に中までは入れなかったが、外から上杉家廟所の神聖な雰囲気を感じながら見学し、これを本当の最後にして、こうして今日も連日と変わらなぬ慌ただしさで観光を終えて情野さん宅へと戻った。そして急いで自転車に荷物を積み込み、また、慌ただしくお礼を言って峠越えに向けて新たに自転車を漕ぎ始めた。ありがとうございました。落ち着かない最後になってしまったが、米沢、さらには山形の地を何度も振り返り「ありがとう」という言葉を残し、峠を目指し、新たな県、福島を目指して漕ぎあがっていったのだった。


国民文化祭のイベントも!


最後は上杉家廟所


今日も慌てて出発

 時間はもう16時をまわっていた。日暮れまでに到着できるだろうか、不安の中ではあったが、しかし、その不安以上に意気込みは大きい。言ってやる、また少しでも距離を延ばそうと必死になって坂に向い、峠、さらには喜多方の大地を目指して行ったのだが、そんな坂の最中、ある夫婦が缶ジュースを片手に待っていてくれた。「頑張って♪」と声を掛けてくれたのは”三治”さん夫婦。そしてお礼の言葉とともに、いろいろ旅を話をすると、「それなら泊っていけば?」と誘ってくれた。しかし、まだ走り始めてほとんど今日は進んでなく、またこの先の予定を思うと喜多方までどうしても行きたい。そんな思いも強く、最初は気持ちだけを頂いて進むつもりでいた。また、この距離の問題よりもさらに大きな悩みも抱えていた。それは日記である。もう4日分ほど溜めてしまっているだけに、夜、さらには朝と黙々と進めなければ収拾がつかない。ここでまたお世話になれば、また進まないどころか、さらに溜まってしまう。もうこれが自分の悩みであり苦しめているところで、どんなに苦労しようともさすがにひとりになりたかった。その胸を正直に話すと、「それなら気にせずにジックリとPCをやっていきいけばいいよ。」と快く言ってくれ、最後はその言葉に引かれ、また安心し、お言葉に甘えてこうしてお世話になることになった。


声掛けてくれた三治さん宅


素晴らしい佇まい

 そんな三治さんのお宅。驚くことに巨大な本格日本家屋作りの家で、それもなんと別荘だという。その大きさにはもちろん、贅沢な作り、そして木々の組み方、家具、何もかもが今はもうほとんど失われてしまった日本という家であり、よく私が入る旧家屋の資料館以上に素晴らしい佇まいで、すっかり見せられてしまった。私の好きな日本という作りだけにもうPCどころではなく、ただただ家を散策させてもらい、いろいろ聞き入ってしまった。さらにはなんとこの方、登山家でもあり、そんな山の話でも盛り上がったというか、いろいろ聞かせてもらい教えてもらった。また夕食はそんな日本家屋の囲炉裏でもちろん炭火焼。銀杏の焼いたり、地鶏を焼いたり、今ではとても経験できない貴重な経験をさせてもらった。また、すぐ目の前の畑で枝豆の収穫体験もさせてもらい、そしてすぐにゆでてもくれた。それがまた信じられないほど甘くて美味しいこと!もう、なにもかもが言葉を失うほどで、そんな自分の夢に描いた日本家屋の中で夕食後は、悔しいが現実に戻って黙々とPC作業。しかし、あまりにはしゃぎ過ぎたのかすぐに睡魔が襲い、また銀杏もあまりの美味しさに食べ過ぎて、ややお腹もムカムカと暴れだしたために横になる。そしてそうなったら最後であり、案の定そのまま22時半ごろ、日記もほとんど進まないまま眠りについた。


いい雰囲気♪


憧れの家だけに見惚れる


楽しく三治さん夫婦と夕食

※この日記の写真をクリックすると拡大写真が表示されます。

 ★今日のお食事♪
 ・朝食 : パン×2・エネルギードリンク
 ・昼食 : 米沢ラーメン・試食品多数
 ・夕食 :

ごはん・地鶏・芋煮・銀杏・枝豆など

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