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更新日時 03/11/14 20:43
本日のデータ
日付
11月11日
天気
曇時々雨
旅行日数
492日目
体調
良好
本日の移動
 石下町〜(車)〜水戸観光〜(車)〜石下町
走行距離
0.0 km   
現在地
茨城県石下町
総走行距離
21906.1 km   
宿泊地
あり&ゆっこ宅
今日の出費
食費
1000 円    
宿泊費
0 円    
観光費
340 円    
雑費
200 円    
経費詳細

 観光費:県立歴史博物館・弘道館




ドライブ水戸

 ※写真はデジカメ故障によりしばらくありません。

 今日は水戸へとドライブ♪もちろん自転車ではなく車に揺られて、Y・Dさん、ゆっこさんと共に水戸観光旅行だ。ただ、ありさんが仕事で来れないのは残念だが、しかし、平日にも関わらずこうして3人で観光出来るのが嬉しく、さらには足がやや重たかった水戸というところだけに嬉しい。ちなみにこの足が重かったというのは、観光したいところなのにルート的に大きく遠回りとなってしまうことで、だが、どうしても見てみたい町だけに見送りたくなく悩みどころであった。そうした水戸がこうして車にて観光へと足を運ぶことが出来、明日以降はそのまま房総半島へと自転車を進めることが出来る為、大きく余裕が出来た今回のドライブでもあった。

 そんな水戸観光。もう私が”あり&ゆっこ”さん宅へと行く前から「行ってくればいいよね〜。さらにはY・Dさんも一緒ならなおさら!」と話してくれていたようで、そんなこともあり、私の方もお願いしやすく、こうして今日はY・Dさんの車に揺られ水戸を目指していった。窓越に流れる柿や栗の気を眺めながら明日登る筑波山の麓を回るように車を走らせ、また時には立派な門・塀を構える今も残る武家屋敷だろうところも抜けていく。ここはどこだろうか、連れられているだけによく分からず、また聞いても地図を持ってこなかったのでよく分からない。しかし、こうして流れる町、人の姿を楽しみながら車はどんどん北へと走らせ、徐々に市街地へと入っていった。ちなみにそんな今朝は7時起き。仕事へと出かけるありさんを見送り、そしてHPの更新と始めるが、しかし今日も時間に追われ、結局はほとんど出来ずまま出発準備へと入り、こうして車に揺られ始めたのが10時ごろであった。

 今日の観光はお願いして私の行きたいところへとまわってもらった。最初は県立博物権へと車を走らせてもらい、さっそく3人で見学。歴史に関してそれほど興味ない他の2人にこうして付き合ってもらってしまい、やや心苦しくもあったが、しかし反面、2人の住んでいる県だからこそもっと知ってもらえればという気持ちもあり、興味を持ってくれれば嬉しいな、そんな思いで博物館の見学は始まった。そんな展示の内容は他の県と遜色ない一般的な県立博物館の内容ではあったが、しかし、幕末期はこの水戸藩は大きな一翼を為していただけに興味深く私にとっては面白くて仕方のない所で足を止めジックリ魅入ってしまうのだが、しかし、その頃には2人はもう見終わっているようであった。見学中盤までは逆に2人はジックリと魅入り、私の方が足が速いほどであったが、後半になると大きな資料館だけにくたびれてしまい、飛ばし飛ばしの見学へと一変し、いつの間にか追い抜かれていた。しかし、私も変わることなく同様に後半は見くたびれて来たのだが、その後半こそ、自分の見たい幕末・明治期であり、ここに来て一気に2人に抜かれ終いには待たせてしまうことになってしまった。でも、ここが自分の見たいところだけに申し訳なく思いながらも気になるところは食い入る様に魅入っていたが、それでも最後はやや飛ばし気味にするところもあり、
未練もあったものの時間にもそんなに余裕もないことから博物館を後にした。

 表へと出るといつの間にかまた雨が降り始めていた。ここ連日ほんと雨ばかりで頭を悩ませるが、しかし、そんな雨の中でも、この博物館の敷地内では見事な景色が広がっていた。あたり一面緑豊かな芝生広間に囲まれ、その中に贅沢なほど広々とした歩道が走り、そして、その両脇にイチョウ並木が走り、さらにはそのイチョウはその歩道にまで黄色のじゅうたんを敷かせていた。思わずこんな雨にも関わらずカメラを構えたくなる風景であるが、しかし、先日私のカメラは壊れてしまい、こうして日記も寂しいものとなってしまった。また私の記録としても文章の足跡しか残せない。上手く言葉に表現できない自分だけに、写真が強い記録作りに大いに役立っていた。さらには写真撮影が好きでもあったから、ひとつ楽しみを奪われたようで、その点でも寂しく、こうした観光も空しさを感じてしまうことも多々あった。なんと言ってもこの後は日本三庭園のひとつ”偕楽園”なのである。この庭園美をどうして写真なくして説明できようかと頭を入る前から悩ましてしまうのだが、しかし、それも拍子抜け。雨も激しく、また冬迫るこうした季節だったということもあるだろうが、自分の期待した”日本庭園”という雰囲気の場は少なく、ほとんどは果てしなく続く梅の木に埋め尽くされていた。初春は見事だろうが、しかし、あまりにも自分の期待した庭園との違いにこうして拍子抜けしてしまい、また雨もさらに強まって来たことから、のんびり散策といった雰囲気でもなく、軽く見学を済ませ逃げるように偕楽園を後にした。

 偕楽園:水戸市にある公園。1842年(天保13)藩主徳川斉昭が造園。金沢の兼六園、岡山の後楽園とともに日本三名園の一。梅の名所で、園内に常磐神社がある。※広辞苑より

 水戸の名物と言えば誰もがすぐに思い浮かべるのが納豆だろうか。そんな納豆がこうした観光名所は偕楽園の出店にずらりと並んでいるのは言うまでもなく、店内の飲食店まで納豆料理がそろうのだが、しかし、私は大の納豆嫌い。苦笑いを浮かべながらそれらメニューを見送り、そして目に止まったのが光圀ラーメン。今日の昼食はあまりの空腹に駆け込んだ偕楽園のとある飲食店でこうしたラーメンに決定したのだが、説明では、この水戸光圀公が日本で始めてラーメンを食べた方であり、こうした名物ができたそうだ。現代風に味付けをやや変えてあるそうだが、それほど見た目も味も普通のラーメンと変わらず美味しく頂けた。

 お腹を満たしてからも、まだまだ観光は続く。お次は”弘道館”で、旧県庁周りの囲むお堀を眺みながら車を走らせ弘道館へと入っていった。そして、そこで出迎えてくれたのは藩校にしては立派過ぎるほどの正門と、そして偕楽園ではほとんど見ることのできなかった日本らしい庭園であった。これそこ日本だと思いながら好きな幕末という時代だけに胸ときめかせながら中を見学していくと、その広大な屋敷の広さにも驚かされ、また並ぶ当時の資料も豊富で実際の建物に居るだけに博物館にはない楽しさがそこにはあった。

 弘道館:水戸にあった藩校。1841年(天保12)藩主徳川斉昭ナリアキの創設。水戸学の淵叢。尊王攘夷を鼓吹。斉昭が設立の趣旨を述べた「弘道館記」に藤田東湖が解説を加えた「弘道館記述義」がある。佐賀藩・彦根藩などにも同名の藩校があった。※広辞苑より

 さて、こうして水戸での私の見たかった最低限の観光を終えたのだが、しかし、実際はまだまだ見たいのは山ほど!幕末好きなだけに、その動き活発だったこの水戸藩は面白いのだが、しかしキリなく、また時間も追い迫り、この後は車は帰路へと向かいながら市街を走ってもらった。駅前の町並みや真新しい県庁などを、いろんな裏話を交えながらY・Dさんは話をしてくれ、そんな会話だけに笑み絶えないまま車は石下町へと帰路についていった。ありがとうございました。

 さて、夜は仕事から帰った”あり”さんと共に、また楽しく飲み交わす。今日もゆっこさんの手料理にお酒も自然と進み、今夜はとくにお酒が進み、最後はY・Dさんと2時近くまで話の途切れることなく盛り上がり就寝した。

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 ★今日のお食事♪
 ・朝食 : 昨夜の鍋の残りで雑炊
 ・昼食 : 光圀ラーメン
 ・夕食 :

天ぷら・煮物♪などなど

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