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更新日時 03/12/01 18:58
本日のデータ
日付
11月26日
天気
旅行日数
507日目
体調
良好
本日の移動
 横須賀市〜三浦市〜横須賀市
走行距離
60.2 km   
現在地
神奈川県横須賀市
総走行距離
22650.4 km   
宿泊地
立石公園
今日の出費
食費
388 円    
宿泊費
0 円    
観光費
0 円    
雑費
0 円    
経費詳細

 




日本の近代化


お世話になった岡田さんと


岡田さん宅より

 昨日の大雨が嘘のように今朝は晴れ渡り気持ちのいい朝を迎えた。6時に起床し今朝も元気なみなと君を交えて楽しく朝食を済まし、8時頃の出発。外へと出れば昨日にはない強い日差しが青空と共に迎えてくれ、そして丘の上に岡田さん宅があるだけに港町見下ろす好展望が広がった。思わず、見下ろす自衛隊の艦船、そして米軍基地の港町に見惚れてしまったのだが、そんな姿を岡田さんは激写!照れ笑いを浮かべながら、私も写真を撮らせてもらう。グッとかたい握手を交わして、このあと共に自転車で途中まで併走しながら横須賀駅まで送ってくれた。連日ありがとうございました。


小栗上野介像を前に

 さあ、気になる横須賀の町だけにじっくりと観光したく、情報収集の為この駅前へとやってきたのだが、しかし、期待した観光案内所がない・・・ さらには観光マップも置いてなく当惑していると、近くにコンビニを発見し、そこで申し訳ないと思いながらも立ち読みさせて貰い情報収集。ちなにみ気になる町と書いたが、この横須賀が幕末の製鉄所建造に始まる近代日本の始まりの地であり、さらには海軍の中心的軍都として栄え、そして今は米軍基地、自衛隊基地として有名だ。さらに言えば、そんな近代化へのきっかけともなったペリー来航もこの横須賀なのだ。そんな日本の近代史と共に育ってきた横須賀の地だけに、また、明治の時代が好きなだけにこの町はずっと前から楽しみにしていたところにひとつであり気になっていた。そんな胸高鳴る中、さっそく迎えてくれたのは”小栗上野介”と”ヴェルニー”の銅像であった。とくに前者は自分の好きな人の一人で、像を見つけた時にはもう嬉しくて溜まらず、すぐにシャッターを切ったほどである。ただ、残念なことにそんな上野介の記念館はなく、しかし、ヴェルニーの方はここヴェルニー公園に建てられており、その開館の9時まで、公園内をのんびり散策しながら、また、沖に浮かぶ自衛隊艦船を眺めていた。

 今のこの横須賀をどう見ているだろうか?この製鉄所(造船所)を作ったヴェルニーの記念館をそんな思いで見学した。資料的には大きなスチームハンマーが2機あるのみで、やや寂しいものがあったが、しかし、親切な管理人さんが丁寧に説明してくれ、充実した観光となった。ありがとうございまいした。

 小栗上野介:幕末の旗本。名は忠順タダマサ。1860年(万延1)通商条約批准交換のため渡米。のち外国奉行・町奉行・勘定奉行・軍艦奉行を歴任。ロシアとの折衝、フランス士官の招聘、製鉄所の経営などに尽したが、徳川慶喜の恭順に反対して辞職。官軍に殺された。(1827〜1868) ※広辞苑より

 ヴェルニー:幕末、日本へと招かれた外国人技術者のひとりで、1865年に来日して以来、横須賀製鉄所を主に、日本の近代工業化の基礎を作り上げ、1876年に帰国した。(フランス人)


ヴェルニー公園散策


旧海軍の遺構


ヴェルニー記念館



観音崎灯台

 この後は、横須賀の町を横目に一気に自転車を進める。手には先ほどの資料館で貰った観光パンフレットを握り締め、たどり着いた先は観音崎。ここでも自転車を置いて観音崎公園内をのんびりと散策した。東京湾の入り口に当たるこの観音崎は海事に対しても重要な拠点で、幕末の開国時には真っ先に日本最初の洋式灯台が作られ、そして明治期には次々と砲台が築かれていった。それら砲台跡や施設の遺構である手掘りのトンネルなどが今も残り、決して過去の話でないことを物語っていた。ちなみにそれら散策中に毎週出させて貰っているFM喜多方さんのラジオ出演もした。さすがに苦手なラジオも慣れ始めてきて、今までの様な異常な緊張はない。それでも実際は出演中、ドキドキしているのも事実である。そんな出演を今回も無事に済まし、そして観音崎を後にしようとしたとき、自転車で待っていてくれていたのが”のず”さん!自宅が近いからとバイクで遊びに来てくれたのだ!「今日、行くよ〜」と連絡はあったが、いつ、どこにいるとも全くやり取りなかったにも関わらず、「なんとなくこの辺にいそうかな?」と第6感を働かせてこうして来てくれたのだ。そんな久しぶりの再開を喜び合いながら、また恒例の精一杯にぎる痛い握手を交わした。


軍事用手掘りトンネル


観音崎・砲台跡


観音崎にてのずさんと再開



浦賀の渡し舟(赤い船)


建設当初の石造りのドック

 この後、またそれぞれ落ち合うと言う事で一時分かれた。観光場所は似たようなところなのだが、しかし、気乗り気のまま、そんな旅がお互い好きなのだろう、自分もまた自分のペースで自転車を漕ぎ始めた。海岸線の道路をのんびりと進み、浦賀の渡し舟を見学。ほんとうにここに渡しがあって意味あるのかというほどの所だが、しかし、今はもうほとんどないそんな船だけに、物珍しく、乗って見たくもなったのだが、しかし、ほんと小型な船でとても自転車は無理そうである。そんな渡し舟の渡る入り江の最奥へ次に自転車を漕ぎ進めると造船所が見えた。今はだいぶ寂れているようにも見えたが、しかし、明治期は第一線の造船所で、今もそのまま現役として残る石造りのドックが覗き見ることが出来た。

 そんな浦賀の入り江で昼食タイム。海を眺めながら岡田さんの奥さんが作ってくれた手作り弁当を頂いた。こうした青空の下でのお弁当、美味しさもさらに増し、ペロリとあっという間に食べつくしてしまい、物足りないほどであった。そこらの即席弁当との味の差を噛み締めながら、次に向かったところは久里浜である。ここが最初にペリー艦隊がやってきたところで、浜沿いには海を眺めるように大きな上陸の碑が建てられていた。そして同じ公園内に建てられているのがペリー記念館。迷わず見学するも、乏しい資料にちょっとガッカリ・・・ 無料だから仕方がないとも思いながら、さらに三浦半島を南へと目指し自転車を漕ぎ始めた。


波止場でお弁当タイム♪


ペリーがやってきた
久里浜にて


ペリー記念館



一面の大根畑
奥は房総半島


城ヶ島灯台


城ヶ島のお土産街


のずさん、斉木さんと♪

 横須賀市から三浦市へと入っていくと景色はガラリと一変した。見渡す限りの大根畑なのだ!もう、土地という土地が全て大根ではないかというほどで、地平線まで続く緑豊かな台地に見惚れながら、どんどん南下して行き、そして三浦半島の南端に浮かぶ城ヶ島へと入っていった。丁度、その大きな橋を渡っている時である。後ろから”ブゥーン”というエンジン音と共に”プップー”と軽快にクラクションを鳴らしながらバイクがやってくる。のずさんだ!抜群のタイミングではないだろうか、後で聞くと、のずさんも同じように観光しながらバイクで走りぬけ、そして今こうして偶然同じ時に、この城ヶ島へとやってきたという。こうして共に島へと渡り、そして城ヶ島灯台はもちろん、埠頭付近も含めて二人でのんびり散策しながら楽しんだ。

 そんな城ヶ島の駐車場へと戻り”のず”さんと雑談していると、「もう、こんなところまで来ていたのか〜」、とひとりのライダーがやってきた。名前は斉木さん。HPを見てくれ、わざわざ探して来てくれたのだ。それも、なんのメール交換することもなく、ただHPの情報だけを頼りにバイクを走らせてきてくれたのだが、それにしても”のず”さんといい、今日はよく第6感を見せられる。凄い人たちだと思いながら、のずさん、斉木さんと楽しく城ヶ島での時を過ごし、そして最後に記念撮影♪この後、暗くなる前に寝床を探さなければならない私は先に自転車へとまたがり城ヶ島を後にしたのだが、この後、私の寝床を求めて、立石公園まで2人してやってきてくれた。その後、寒さに耐えながらも公園で19時過ぎまで楽しく過ごし、そして、そこで知ったのだ、この2人ともに同じ職業の方であった。その2人もビックリであったそうだが、私も驚きを隠せないまま、しかし、どうも似ている2人だとは感じていたのも事実。とくに第6感には感服させられながら、夜は更けていった。ありがとうございました。

 この後、HPの更新作業に取り掛かるが、すぐに睡魔に襲われ、21時前には寝てしまっていた・・・


三崎港


立石公園にて


立石公園にて

※この日記の写真をクリックすると拡大写真が表示されます。

 ★今日のお食事♪
 ・朝食 : パン・ハム・たまごなど
 ・昼食 : 岡田さんの奥さんの手作り弁当
 ・夕食 :

パン×2

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