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更新日時 03/11/30 8:23
本日のデータ
日付
11月27日
天気
旅行日数
508日目
体調
良好
本日の移動
 横須賀市〜鎌倉観光〜茅ヶ崎市〜厚木市
走行距離
54.7 km   
現在地
神奈川県厚木市
総走行距離
22705.1 km   
宿泊地
相模川河川敷
今日の出費
食費
1287 円    
宿泊費
0 円    
観光費
420 円    
雑費
840 円    
経費詳細

 観光費:鎌倉大仏拝観・円覚寺拝観
 雑費:丹沢山登山地図




空回り

 今日は古都・鎌倉の観光だ。ここも今まで見たことない町だっただけに「どんな古都だろう?」かと興味深く市街へと入っていった。そんな朝は4時起き。そしていつも通りHPの更新を進め、朝食は簡単にパンで済ませての7時の出発。すぐ近くの警戒が物々しい”葉山の御用邸”(皇室の別邸)を眺めながら、北へと漕ぎ進み、そして目の前に現れたのが美しい孤を描く由比ヶ浜であり、その浜をぐるっと囲むように山々が連なっているのが見えた。その中に古都・鎌倉があるのだが、そのあまりの土地の狭さにまず驚いた。それでいて、高層ビル立ち並ぶ訳でもなく見るからに静かそうな町なのである。しかし、市街地へと入っていくと意外な人込みに唖然、それは地元の方々によるものではなく、すべて観光客であった。とくに団体客が目立ち、自転車の通行が困難なことも多々あり、また車も多くそれに追い討ちをかける。都心の人込みよりも不快感を高まらせながら市街から逃げるようにして最初に向かったところは”鎌倉の大仏”である。ここが一番この鎌倉で楽しみにしていたところで、前々からいろんな本や写真で見聞きしているだけに一目どんなところか見ておきたかった。まだ開門まもない静かな高徳院へと足を踏み入れ、門をくぐると石畳が見事なまでに敷き詰められた参道が現れ、そしてその先に堂々と座る大仏が見えた。その姿は初めて見るにも関わらず不思議と懐かしさ、そして親しみが込み上げ、この大仏のもつこれが魅力なのだろうか、それとも今まで何度も写真を見てきただけに、そう思えたのかは分からないが、そんな大仏にゆっくり手を合わせ祈った。そしてこのあと大仏の胎内も見学した。


鎌倉大仏


大仏の胎内へと

 また駅前へと戻り、今度は”鶴岡八幡宮”へと足を運んだ。この八幡宮の参道はちょっと面白い。いや、面白いところに道路を走らせたと言った方がいいだろう。道路の中央分離帯部分が一直線へと八幡宮へと伸びる参道となっていて、その両脇に桜並木を抱え、さらにその両脇に上下の車道を持っている。正確には参道の両脇に車道を後から作ったのだろうが、しかし、そんな車道に囲まれていても、この参道には落ち着きがあった。この桜並木のせいだろうか、ここではのんびりとその参道を歩き参拝。この後もさらに足を伸ばして白旗神社、源頼朝の墓と見学した。

 鎌倉の大仏:鎌倉市長谷ハセの高徳院(浄土宗)の庭に露座する金銅の阿弥陀如来。坐像で像高11.39メートル。1252年 (建長4)鋳造を始めたといわれる。長谷の大仏。 ※広辞苑より


 鶴岡八幡宮:鎌倉市雪ノ下にある元国幣中社。祭神は応神天皇・比売神・神功皇后。1063年(康平6)源頼義が石清水イワシミズ八幡宮の分霊を鎌倉の由比郷鶴岡に勧請カンジヨウし、1180年(治承4)源頼朝が今の地に移して旧名をうけついだ。源氏の氏神として尊崇された。鎌倉八幡宮。 ※広辞苑より


鶴岡八幡宮


鶴岡八幡宮


源頼朝の墓



建長寺

 この後は鎌倉の寺周り。建長寺、円覚寺、そしてあじさい寺として有名な明月院と見学しながら歩いた。どこもこれも深い歴史があるようだが、しかし、鎌倉時代、さらには仏教に関しては苦手な私にはほとんどよく分からなく、横浜、横須賀の時のような感動、興奮はない。ただ、人込みにひたすら紛れながら歩いていたという印象のほうが強く、自分にとっては寂しい観光となってしまった。この後、また逃げるようにして市街を後にし、そして由比ガ浜までも見送り、七里ヶ浜へと入っていった。

 建長寺:鎌倉市山ノ内にある臨済宗建長寺派の本山。山号は巨福山。建長元年(1249)北条時頼が蘭渓道隆を開山として創建。鎌倉五山の第一。創建以来、数度の火災に見舞われたが、江戸時代に再建されて今日に至る。※広辞苑より

 円覚寺:鎌倉市山ノ内にある臨済宗円覚寺派の大本山。山号は瑞鹿山。1282年(弘安5)北条時宗の開創。開山は無学祖元。鎌倉五山の第2位。明治初年に至り臨済禅近代化の先鋒として復興。舎利殿は禅宗様建築の代表的遺構。※広辞苑より


円覚寺


明月院


由比ガ浜



江島神社の参道

 ちょっとガッカリしてしまった鎌倉観光。期待が空回りしてしまったような観光であり、まだ自分は鎌倉の時代には早すぎた。もっと勉強してから来よう。そんな感想を抱きながら、七里ヶ浜沿いを気持ちよく走っていくと、見えてきたのが江ノ島だ!この付近も以前何度か車では走ったことがあるのだが、この江ノ島へは一度も渡ったことがない。遠目で見ると、島を覆うほどの大きなヨットハーバーが見えるのみで、他に何かあるのだろうか、そう疑問を投げたくなる島なのだが、しかし、有名な島だけに今回、足を運んで見ることにした。

 長い橋を越え江ノ島へと入る。そしてそこで迎えてくれたのが、江島神社の参道であった。道の両脇にはぎっしりとお土産・飲食店が並び、ここも平日にも関わらず賑わっていたが、しかし、雰囲気はよく、また団体客がいなかったせいだろうか、先ほどのような不快感はなかった。ゆっくりと踏みしめながら参道の階段を登っていき、そして近津宮、さらに登っていき、中津宮、そして山頂付近では奥津宮と3つの宮が迎えてくれた。それらを越え、島の対岸へとでると表からはとても伺う事の出来ない断崖絶壁の荒々しい島の姿が目の前に飛び込んできた。思いもしなかった景観に胸高鳴らせながら階段を下っていき、そして頼朝が祈願したと言われる洞窟で行き止まりとなるのだが、そこは意外に値が張る料金の為に断念。海際をのんびりと歩き楽しんで帰路についた。


江島神社・近津宮


江島神社・中津宮


江島神社・奥津宮


江ノ島


江ノ島


江ノ島のヨットハーバー

 時間はまだ14時前。さて、この後、どうしようかと頭を悩ましていた。当初の予定では鎌倉の郊外に住むあるお宅へとお世話になろうと思っていたのだが、連絡がとれない。後から知ったのだが、どうやら自分の控えていた携帯番号が違ったらしく、また、携帯の電池がないことも致命的で、公衆電話を探しては電話をしていたので、連絡が遅れてしまい、どうやら出かけてしまったようで連絡付かなかった。このまま当てにして急に押し掛けては迷惑だろうが、しかし、一度、行くとも言ってしまっただけに、やはり行くべきだろうかと迷いに迷った。しかし、最後は「すいません・・・」というメールを入れ先へと自転車を進めることにしたのだが、今日の寝床先を全く考えていなかっただけに、この後、探しに探しながら自転車を漕ぎ進んだ。さらに今夜から雨という予報。できればそんな雨を凌げるところがよいが、そんな都合のよいところは見つからず、茅ヶ崎を越え、寝床を求めて相模川沿いを上って行った。よい運動公園や橋の下などないだろうか、そんな期待を掛けて行くが、しかし、都合のよいところはなかなか見つからず、あっても怪しいところばかりだ。特に橋の下などはどこかの族がいたずらした落書きはもちろん、ビンの欠片が散乱しているところばかりで、悲惨もいいところであった。結局どんどん上って行くが見つからず、最後は日暮れも迫ってきたことから断念して、河川敷へそのままテントを設営。水もトイレもないところである。しかし、そんなことよりも雨よ降らないでくれ、それだけが悩みであり、祈りながら夕食を済ませ、またHPの更新作業を進めたが、電源がないために途中で電池切れ・・・ 寂しい河川敷での夜となってしまい21時には就寝した。

※この日記の写真をクリックすると拡大写真が表示されます。

 ★今日のお食事♪
 ・朝食 : パン×2
 ・昼食 : ミニ弁当・パン
 ・夕食 :

パン×2

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