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更新日時 02/12/19 7:58
本日のデータ
日付
12月18日
天気
旅行日数
162 日目
体調
風邪気味
本日の移動
 江田島〜(船)〜広島市街観光〜(船)〜宮島
走行距離
35.4 km   
現在地
広島県宮島町
総走行距離
6562.1 km   
宿泊地
包ヶ浦公園
今日の出費
食費
750 円    
宿泊費
0 円    
観光費
370 円    
雑費
830 円    
経費詳細

 観光費:平和記念館・広島城
 雑費:フェリー代(切串〜広島・宮島口〜宮島)




世界平和

 今回、3度目の平和記念館の見学であったが、見学する度に自分にとって身になる内容になっているのではないかと思う。最初は高校の修学旅行の時で、この時はただ凄いな〜っと思った程度で心に強く残るものはなかったと思う。そして2度目は社会人になってから車で出かけた。でも、このときもただ、客観的に見てしまうことが多く、それほど記憶に残らなかった。そして今回、そのイメージのままでの入館であったが、その記念館の内容の濃さに驚かさせられた。以前とは全く別の資料館ではないかと思うほどであった。自分がそれだけこの旅で成長しているせいだろうか?そこには、戦争の歴史、その悲惨さ、そして平和への訴え、その全てを心から感じた。時には涙が出そうにもなるほどだった・・・

 そんな平和記念館を訪れた今朝は、江田島で朝の4時50分という信じれない時間からはじまった。なんとこんな時間に起こされ初めての警察の職務質問であった。でも、追い出されることもなく、逆に心配してくれ、また温かく対応してくれたので嬉しかった。警察も見つけてしまった手前、職務質問せざるえなくなってしまったのだろう。だから最初から申し訳なさそうに声を掛けてくれた。後から知ったのだが、最近この江田島で犯罪(盗難・窃盗類)が多いらしい。そのために余計に厳しきなっているのだろうか?さて、その後は、また何事もなかったかのように、また熟睡。そして6時ちょっと過ぎに起床した。

 今にも雨の降り出しそうな怪しい天気。その重い天気と同様にどうしても心も重くなってしまう。散歩中のおじさん、おばさん達に声を掛けられ、そして元気をもらいながら朝食を自炊。そしてそのあとは、昨日も日記を残してしまったために、朝から日記を書く。今朝もなかなか寒い!どうしても手袋をはめて出来ないタイピング(パソコン)だけに手を異常に冷える。何度も擦りながら温め日記を打つ。

 そんな寒さに耐えながら9時前にようやく終了した。そしていよいよ広島へ向けてフェリー乗船だ!9時過ぎの船に乗ったのだが、それほど混みあってはいなかった。だが、あまりに忙しない出発には驚いた。切符は船内で買うのだが、乗船して自転車を置いて切符を買った頃には、もういつの間にか出航していたのだ。えっ!っといった感じであった。停泊時間は何分だったんだろうか・・・

 船内で温まりながら休憩。でも、15分ほどの船の旅だけにそれほど休む間もなく到着。港に着いてまず行ったのが、新聞社への取材のお願いだった。伝えることは伝え、そして検討後から電話しますとのことだった。最初のこの電話では手ごたえがあまり感じられなかったので、取材は無理かなと半分諦めていた。さすが100万人都市、レベルが違う!などと思い自分を納得させていた。

 港を出て広島の町を見ながら平和公園へとまず向かった。そしてさっそく見学と中へ入ったところ、なんと、さきほどの中国新聞社からの電話。それも予想外の吉報だった。そうもちろん取材してくれるとのことだった。慌てて一時退館させてもらって、記者”松本”さんと合流。そして何度受けても緊張してしまう取材。でも、とても話しやすい方だったので世間話も交えながらの会話で楽しかったのだが。そして、それから写真撮影と済ませて無事に終了♪ありがとうございました。

 さて、いつの間にか12時をまわっていた。また改めて館内を入り見学。前に見たときは意外に早く見学が終わってしまったが、今回は興味惹かれるものばかりで意外に時間がかかった。また、詳しくガイドさんが時折説明してくれるのが嬉しかった。その展示物の中で一際目を引かれたのが、今まで気にもならなかった、市長の原爆実験への抗議文に数々であった。こうして実験が行われているたびにこうした努力をしていることすら知らなかったし、しても国レベルでの抗議だと思っていた。それが一市長が国に対して抗議文を実験のたびに必ず発していることに驚いた。それも毎回、文章は違う。その世界情勢と照らし合わせての抗議文なのだ。そんな広島市の取り組みに感動し、また他の町とは違うことを改めて実感した。


平和記念公園


お世話になった
中国新聞記者・松本さんと
平和公園にて


原爆ドーム
(保存工事中です)

 記念館をあとにし、新設された追悼平和祈念館を見学。名前の通り、亡くなった方々の一覧がデータとしてここには残されていた。また、この”ピカドン(原爆)”を乗り越えてきた方々の貴重な体験談なども展示してあるコーナーもあり興味深かった。

 このあとは原爆ドームを見学しながら、市営球場を横目に歩いて広島城へと向かった。このころからまた体調が悪化。どうやらまた微熱が出てきたようでフラフラする。たまに大地が揺れるのだ。そんな状態の中、必死で広島城にたどりついて、そして元気に振舞って記念写真。そして護国神社で健康祈願して広島城内へと入った。ここも予想以上に資料豊富で惹かれるものばかりであったが、残念なことにのんびり見学している時間がなかった。この広島市街で寝床(野宿場)を探すのは難しそうなので郊外にある宮島まで今日中に行きたかった。そのため、もう駆け足で見学、そしてちょっと気になるところだけはじっくり見学して悔いの残らないようにした。


広島市民球場


どんどん再現されつつある
広島城


風邪が辛くなってきたが
元気を出して広島城へ


今も元気に生きる
被爆した木々
(冬だから元気ないけど・)


広島城敷地内の
護国神社


広島城!



巨大な路面電車にはビックリ!
(普通の路面電車も走ってます)


原爆の投下目標になった
T字橋の現在


お好み焼き屋さん
”やまね”にて
美味しい〜♪


”やまね”にて

 城を見学後、トコトコ歩いて、また市街を見ながら平和公園へと戻る。実はまたここで先ほどの記者”松本”さんと待ち合わせ。後ろの日本一周のプレートの写真撮影を忘れていたためだ。こうしてまたいろいろ広島のことを教えてもらいながら写真撮影をした。

 もうすでに16時過ぎ。ちょっと慌てて広島市街脱出っと行きたかったが、そのまえにやることがある。そう、まだお好み焼きを食べていないこと!さらに言えば昼食すらまだ食べていなかった。メールで薦めてくれた、お好み焼店を探してそこで食べることにしたのだが、それが探しても聞いても見つからない(T_T) 仕方なく目にとまった小さなお好み焼や”やまね”に入ることに。同席したお好み焼通のお客さん曰く、ここが広島で一番美味しいところだそうだ!まあ、好みもあるから一概には言えないが、でも美味しかったことは確か!大盛りでたらふく食べて元気を付ける。もういつの間にかあの頭痛も無くなっていた。そして元気に宮島へと向かった。

 もう、すっかり暗くなってしまい夜間走行となったが、でも街中だけに光が多く、それほど恐怖感はなかった。また道中も原付・自転車専用道路が設けられているところが多く、意外に走りやすい。そして18時ちょうどに宮島口へ到着した。そこからフェリーで宮島へ。数分の航海だ。そしてここも3度目となる厳島神社へと向かった。だが、すでに日も暮れていることもあって中までは入れない。いや、その前に人一人いない参道だった。ただ、鹿だけがのんびりした時間を過ごしていた。

 初めての夜の厳島を堪能して、ここから数キロ自転車を走らせて寝床を求めて包ヶ浦公園へと向かった。キャンプ場もここにはあるのだが、すでに閉鎖されていそうであった。そのため、管理所の軒下を借りてテント設営。20
時近くなってようやく落ち着くことが出来た。夕食はここには水場が近くになかったために断念。まあそれほどお腹も空いてなったのでよかった。そして日記を書き始め、また途中にして睡魔に襲われ就寝した・・・


宮島


宮島「厳島神社」


宮島「厳島神社」

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